小さな情景展 大盛況のうちに終わる

ちょっと遅ればせながら、、、佐橋君の絵画展が大盛況のうちに終わったことをご報告。
8/27~8/29 平塚市 八幡山の洋館にて。
(娘たちが2学期学校初日であり、わたしもつられて一緒に起きたので、これを書くことにした(笑)。
現在の状況下で足を運ばれた方々には感謝したい。
コロナ禍における対策(入場・時間制限や消毒等)をしっかり講じたうえで、人の入りは予想をかなり上回るものであった。
懐かしい人々が一堂に会して、彼もとても嬉しかったそうだ。
わたしが招いた新しい仲間もおり、某大先生も仕上げに向かう大きな仕事と重ならなければ来られたところだった。
今回の彼の展示会を、待ちに待った人々が多かったことがよく分かる(新旧のファンはかなりいるし)。
かく謂うわたしは一身上の都合で会場には足を運べなかったが、彼の絵は生でいつでも見られる為、わたしとしては問題はない。
ただ、そこに集う人で、逢いたかった人は何人もいる。
(まだ、一度も逢ったこともないブロ友さんもいた。うちの娘がお菓子を頂いた。有難い繋がりである)。
わたしは少々長めの「解説パネル」と各絵画のキャプションを書かせてもらったが、殆どの人がよく読んでくれたとのこと。
特に「解説パネル」のあの部分では皆が決まって笑っていたという。
(わたし的に言えば、掴みはOKか(笑)。
佐橋君からも、絵と文との調和で更にその世界が深まったという趣旨の言葉を頂き、ホッとした。
(但し、直前で急に3点ほど追加したそうで、2点は以前わたしがこのブログで紹介していたもの~S君の仕事~からのチョイスであった為、そこの文を使ったそうだが、後一点のわたしの知らない最新の絵については彼自身の文で展示されたそうだ。ジオラマも3点ほど飾られ、凝っていて面白くうちの娘たちも大変喜んでいたそうだ)。
また次もやる、と急にやる気満々になってしまったので、来年もこのような絵画展が開かれる可能性はある。
ストックは多い為、絵画の点数には問題ない。今回出していないわたしのお気に入りの絵もまだあるし内容的には楽しみだ。
しかも発展形であるジオラマもかなりある。
次回はもしかしたらジオラマ展?と尋ねると、いえ絵画があくまでも主です、とのこと。
すると今回と構成的には同様のものとなるか。
(こういった展示会も彼特有の反復作業の一環に組み込まれてゆくのかも)。
そして何と言ってもBGMのピアノの生演奏である。
わたしと佐橋君の共通の友人の作曲家O君によるもので、ここでしか今のところ聴けないものである。
うちの妻が全曲録音していた為、LINEで欲しい人にも送っていた(笑。まだ、作曲家当人が著作権をかけていない為、うちわで普通に聴いてしまっている(笑。正式にレコーディングしたところでCDでなければ聴けなくなるはず。
プロトタイプとして聴いている。エンジニア次第でまた素晴らしいレコードになると思う。
ただ、今回の美味しかったところは、一日目にO君の友人の現代音楽の作曲家であるK君が自作の曲を生演奏してくれたことである。つまり曲と演奏者の異なるBGMが二日間に渡り聴けたことになる。
予めプログラムにあったのは、二日目のO君のものだけであったが、一日目の飛び入りにも佐橋君自身感動したそうだ(音源欲しい)。
初日に来てしまった人も充分愉しめたものである。
やはりそういったところが、ライブ空間の醍醐味だと思う。
コロナ禍において充分な注意は必要だが、ひとが集まるところには(想定外の)創造的なハプニングは度々起こる。
それが大きな芸術的感動や気づきを呼ぶことは少なくない。
新たな創造(創造的関係)の重大なきっかけとなることもある。
学校も始まったが、ひとの集まる場の重要性~価値は思いの他大きいものだ。
最大限の対策をもって、こういった機会を工夫し保障してゆくことは疎かにしてほしくない。
とてもゴージャスな花束を頂いたが、今もその香りで部屋が一杯である。
夏の暑さに爽やかな香りは効く。
一緒にその曲も流している。
この心地よさ、、、長生き出来そう(爆。

娘たちは、わたしの文章ほとんど読んでいなかったみたいだ。
娘とはそうしたものか、、、。
自分の作品作りにも精進したい。
わたしのは、完全抽象だが。
以前描いていた絵本の為の具象画も探しているところ。
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