ダイバージェント

Divergent
2014年
アメリカ
ニール・バーガー 監督
エヴァン・ドーハティ、ヴァネッサ・テイラー、ヴェロニカ・ロス
ヴェロニカ・ロス『ダイバージェント 異端者』原作
シェイリーン・ウッドリー、、、ベアトリス・“トリス”・プライアー
テオ・ジェームズ、、、トビアス・“フォー”・イートン
アシュレイ・ジャッド、、、ナタリー・プライアー
ジェイ・コートニー、、、エリック
レイ・スティーブンソン、、、マーカス・イートン
ゾーイ・クラヴィッツ、、、クリスティーナ
マイルズ・テラー、、、ピーター・ヘイズ
トニー・ゴールドウィン、、、アンドリュー・プライアー
アンセル・エルゴート、、、ケイレブ・プライアー
トーリ・ウー 、、、マギー・Q
メキ・ファイファー、、、マックス
ケイト・ウィンスレット、、、ジェニーン・マシューズ
戦争で世界崩壊後のシカゴが舞台。遥か彼方に高いフェンスが築かれているのが窺え、その外を暗示させる。
その内側~管理の行き届いた環境~都市に人々は暮らしているのだ。
彼らは平和維持のため、無欲を司る「アブネゲーション」、平和を司る「アミティ」、高潔を司る「キャンダー」、博学を司る「エリュアダイト」、勇敢を司る「ドーントレス」の5つの『派閥』に分かれて生活をしていた。
この他に「無派閥」という共同体もあるが、そこは下位集団のようである。
一定の年齢になると審査を受け、自分がどの派閥に属するかの適正テストを受ける。
最終決定は自分の意志で決められるようだ。ヒロインのトリスは適性が一つに絞れない特異なタイプで、どうやらどの派閥にも当てはまらないダイバージェント「異端者」の資質が認められた。幸いテストの試験官の計らいでその件は隠し、適当に誤魔化して自分の意志により出身は「アブネゲーション」であったが、「ドーントレス」に希望して入ることに。

シカゴの全体統治に当たっているのは無欲「アブネゲーション」であり、その指導者がトリスの父であった。
無欲が統治することは、大変理にかなっているように見えるが、最近その体制に対し悪い噂が流されているようであった。
体制をクーデターで転覆させ全体を支配しようと企んでいるのが博学「エリュアダイト」であり、その黒幕の中心人物にジェニーン・マシューズがいる。
彼らは自分たちのもっとも大きな障害となるものを、いずれの派閥も超越しているダイバージェントであるとして、彼らを秘密裏に抹殺していた。

ヒロインの所属した派閥は正式なグループメンバーとなるには、過酷な訓練を積み一定ラインを越えなければならず、不合格者は脱落者として「無派閥」に落ちてしまうようだ。
「無派閥」は所謂各派閥からの脱落者の集まりということなのか。見た目は確かに無気力な雰囲気である。
それに対し、ダイバージェント~異端者は高い能力を秘め体制に囚われない危険因子という位置にあるようだ。
大衆に対する単独者であろうか。確かに厄介な存在であろう(笑。
物語のテーマ・発想と舞台設定、演出には『ハンガー・ゲーム』の雰囲気があった。
主人公の成長を追うところにウエイトが置かれていたようだ。
舞台のSFXはよく出来ており、スケールも大きく質感にも説得力があった。
特に仲間との訓練で、ビルの間を高速で滑りぬけてゆくスリリングなアスレチックみたいなものはこちらも疑似体験してしまうほどハラハラした。そういう部分はよく出来ていると思う。

だが、この荒唐無稽な派閥をどんな風に描写~説明して見せるのか、派閥間の関りやどのように全体として連動するのか、など期待したが別にその辺は何もなく、派閥の民のイメージがちょっと映る程度であった。ほとんどすべてヒロインが属した「勇敢」内の人間関係や過酷な訓練が描かれるものなのだ。注射をやたらと打ち、深層に抱えた恐怖のイメージに対処する訓練~テストというのはちょっと面白かったが。
もし彼女が「無欲」にそのまま留まれば、アクションシーンとかメンバー間のイザコザもなく実に平坦な物語にしかならないはずで、ドラマとしてはこの選択以外になかろうとは思う。

恐らく個人的な時間や空間は彼らには無く、スパルタ訓練あるのみと窺えるのだが、いつの間にかフォーとトリスの恋愛モードが生じてくるなり、何でこんな暇があるのだろう、といったシーンがやたらと入ってきて戦いの最中すら隙だらけの弛んだ流れとなって来る。こんな二人だけの自由時間があって大丈夫なのかとこちらが心配になるほどに。
ご都合主義的な展開も次々に入ってきて何やら妙なラブコメディの流れに澱んでくる。
どんな場面にもタフなファイト要素を組み込むことでそれらしくもっていこうとするも、先は見え見えで落ち着くところに着地するだけである。スリリングな動きが入っても緊張感はない。
度々ジェニーン・マシューズが何かの企みでこの派閥を訪れて来ていたが、「勇敢」のメンバーを政権奪取の為の戦闘員~駒として操り、利用しようとしていたのだ。このあたりがもっとも山となるところかとも思ったが、彼女の両親が亡くなる場面もあったが、陰謀の阻止の部分までラブコメ絡みであっけなく、その後の展開も見られず終息を迎える。
ヒロインの逞しく変貌してゆくところに寄り添い、彼女密着で進む意図は分かるが、そこにかまけて周囲の状況や流れ~本筋が見えてこない~感じられないことで、全体としての緊迫感が失せてしまっていた。
世界観を支える大事なプロットが抜けてしまっている。どういった世界観かも実は判然としないのだが。

それにキャストがどうにも存在が薄いのだ。主演者に関しても共感するほどの重みがない。
雰囲気だけと言う感じ。
雰囲気映画である。間違ってもSF映画ではない。
AmazonPrimeにて

- 関連記事
-
- ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー
- ゴーストシップ
- ダイバージェント
- テッド・バンディ
- 散り行く花