テッド・バンディ

Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile
2019年
アメリカ
ジョー・バーリンジャー監督
マイケル・ワーウィー脚本
エリザベス・ケンドール『The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy』原作
マルコ・ベルトラミ、デニス・スミス音楽
ザック・エフロン、、、セオドア・バンディ〔テッド〕(連続殺人犯、元法学部学生)
リリー・コリンズ、、、エリザベス・ケンドール〔リズ〕(シングルマザー)
カヤ・スコデラリオ、、、キャロル・アン・ブーン(テッドを支援、妻となって女児を出産)
ジョン・マルコヴィッチ、、、エドワード・カワート(判事、 フロリダ州の裁判長)
ジェフリー・ドノヴァン、、、ジョン・オコンネル弁護士(ユタ州での弁護士)
アンジェラ・サラフィアン、、、ジョアンナ( リズの親友)
デヴィッド・ヨーコム検事、、、ディラン・ベイカー (ユタ州の検事)
ブライアン・ジェラティ、、、ダン・ダウド弁護士(フロリダ州の公選弁護人)
ジム・パーソンズ、、、ラリー・シンプソン検事(フロリダ州の検事)
ハーレイ・ジョエル・オスメント、、、ジェリー・トンプソン( リズの同僚、後に夫)
グレース・ヴィクトリア・コックス、、、キャロル・ダロンチ(ユタ州でテッドに誘拐された女性、最初の証人)
テリー・キニー、、、マイク・フィッシャー刑事(コロラド州ピトキン郡の刑事、テッドを追う)
ジェームズ・ヘットフィールド、、、ボブ・ヘイワード(テッドを最初に逮捕したユタ州の警官)
リリー・コリンズのお父さんは、あのフィル・コリンズだというからたまげた。
彼女は音楽はやらないのか。
別にそこに拘るつもりはないが、、、。
まさにヒロインしていた。

BGMにELPが流れたりして、とても入りやすい映画ではあった。
とは言え、題材からして観易い作品という分けではないが。
映画としての作りはテンポもよく、グロテスクなシーンやオドロオドロシイ部分の即物的描写がほとんどなかった。
だが、この主人公は明らかに異常である(有名な事件らしいがわたしは全く知らなかった)。
何よりも、こんな凄い主人公を引き受けたザック・エフロンには敬意を払いたい。
イメージは寧ろ良くなり評価は上がるのでは、、、。
しっかりやり切っており、役者としてお見事。
最後のエンドロールで本物たちが実際のフィルム上で出ていたが、かなり忠実にトレースしていたことを知った。
何でも5時間を超えるドキュメンタリーがあり、本作はそれをもとにした映画だというが、わたしはこれだけで十分。
そんな猟奇連続殺人には興味ない。
それ以前に、身が持たない(笑。

確かにこういう人は、いる。
この原因を遺伝的流れや家庭環境に見出そうとしても、きっと上手くいかないと思う。
(勿論、何らかの無意識の物語はあったはずだが。幼児期のストレス~身体的虐待や性的虐待,ネグレクトなど、、、だがそこからここへの結実~Blossomsである!)
日常の文脈を食い破り、恐らくそれは突然変異体の如くに忽然と立現れるのだ。
判事が酷く病んでいると言っていたが、確かに病んでいると謂えば凄まじい病様だ。
尋常ではない。
だが、こういう人はいる。
恐らく死刑制度はこういう人の為にあるのだと思う。
彼は異様に元気で前向きで直向きに何の罪悪感もなく、自分好みの女子を惨殺し続けられる。と言う風に見受けられる。
本人の中にその行為に対する反省的意識がない、と言うより自動的にそれを行ってしまっているようなのだ。
それは特定の刺激に乗じてオン(ハレ)/オフ(ケ)の切り替えが起こるのではないか。女性が目に入った時、タイプ~ターゲットであればスイッチが入るというように。(分かり易いと謂えばそれまでだが)。
オンの時点で常識的な人格は消え去り、女性を機械的に殺害してゆくのだ。
オフの際は、人格はその自動運転中全てに対する記憶はそれとして保持されてはいても、切断されたパーソナリティとなり、日常の勉学(法学)や愛する女性との常識的な範囲での生活を営む状態となる。
そしてその行為を自ら止める気はない。行為を完全に否定しながら反復継続してゆくのだ。
外部からその機械状反復運動の切断をする以外に方法はない。

しかしここで不思議なのは、普通に愛せる相手が存在するということ。その女性の子供に対しても子煩悩を発揮する。
本人の中では、サッと極めて残虐な方法で惨殺してしまう女子と長く普通に愛せる女子の分別がはっきりなされているのだ。
それが、どこにあるのか。何なのか。
興味深いものだ。
この選ばれた人は、他の女子とはどう違うのか。同じ「女性」ではない、少なくとも全く異なる範疇の「何か」であろう。
ここでは、エリザベス・ケンドールとキャロル・アン・ブーンの二人の女子である(確かに美人だが)。
美醜という質的に連続性のある~相対的なものとも思えない。

単なる好みの差にせよ、扱いは凄まじく異なり、一定のシステム上で処理するモノと人格的に愛する者との違い、である。
これに対応したテッド自身の主体の切り替えも当然起きているはず。彼女に対する彼氏モードとmurdererモード。
一般的に言えば、二重(多重)人格であろうか。
だがドラマの中で、その側面からの病理学的アプローチがなされた部分は全く見られない。
厚顔無恥の嘘つき、詐欺師の殺人鬼というところである。それが30人以上の猟奇殺害に関わっているところで、大きく取り上げられたのだが。

一人の人間が、これだけはっきり嘘をつき堂々と日常を生きつつ、途轍もなく残虐な殺害を趣味のように続けられるか。
(裁判で、どんな証拠を突き付けられてもへいっちゃらだし。弁護人をクビにするし)。
それに耐えるスーパーマンに、ここで皆が驚愕し唖然として立ちすくんだというところだ。
中には素敵と恋心を芽生えさせる女性も出て来て、ファンレターなどもかなり舞い込むまでに。
彼の信奉者も出てくるのだ。
キャロル・アン・ブーンは一貫して彼を守り支えこの時期に子供まで作り結婚をする。
愛し合いすでに婚約をしていたエリザベス・ケンドールは、あるところで目が覚め完全に敵対する関係になった。
彼女に献身的に尽くす人の良いリズの同僚ジェリーとの結婚も大きい(ハーレイ・ジョエル・オスメントが扮するところが何故か笑える。失礼)。
最後の面会で、彼女は彼に「わたしを解放して!」と何度も叫び、どういう「やり方」でこの女性の首を切断したのか、と刑事にもらった写真を見せ、その「やり方」~方法を問いただすと、彼は無表情に(又は覚めた顔で)それを面会のガラス面~そのインターフェイスに書き記すのだった。
ここは面白いシーンである。
どうしてそんなむごいことをとか何故そんなことを、という人道的で感情的な詰問ではなく(お前の化けの皮をはがす的な脅しでもなく)、その方法を質問したらそれに正確に応える人格が素直に出てきた、というところ。
やはりこの人ただもんではないわ。
ずっと彼を追って来た刑事がその続きの聴きただしにかかる、、、。

多様性では済まされない問題に対し多様な関わりが必要となる。
ザック・エフロンはよく理解した演技だったと思う。
キャストは充実していた。裁判長は勿論、ジェリーも(笑。
フィル・コリンズの娘さんには、今後も頑張ってもらいたいものである(親戚の叔父さんみたいな心境(爆)。
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