散り行く花

Broken Blossoms
1919年
アメリカ
D・W・グリフィス監督・脚本
トーマス・バーク『中国人と子供』(『ライムハウス夜景集』より)原作
リリアン・ギッシュ、、、ルーシー(15歳の少女)
リチャード・バーセルメス、、、チェン・ハン(仏教徒の中国人青年、雑貨店を営む)
ドナルド・クリスプ、、、バトリング・バロウズ(ルーシーの父、現役ボクサー)
アーサー・ハワード、、、バロウズのマネージャー
まさに”Broken Blossoms”
”Broken Flower ”でないところが身につまされる。
何と言うセピアか。これほど美しいセピアの光景は見たことが無い。
スラム街がお伽噺の絵本の世界にも感じられる。
薄幸の少女の美しさ。この映画の隠れた主題は、この少女を虐待することと愛でることで彼女の美と神聖さを際立たせようとしたところか。
「散り行く花」

中国人チェンの薄目と猫背の無駄のない身のこなしが、如何にも仏教の布教で西洋に渡った僧という雰囲気を漂わせていた。
チェンは結局、夢破れスラム街で店番をしながら阿片を吸う生活に甘んじていたが、品格はその表情や所作に見て取れる。
その近くの家では、ボクサーである父が日常的に娘ルーシーに暴力を振るっていた。
少女に手を差し伸べる者はいない。いや、寧ろ危険な目が彼女を狙ってもいた。チェンは一度彼女を助けた稀有な存在である。
バトリングの鞭は痛いうえに顔のアップが怖い。
この映画という形式を持って初めて観客はこのド迫力のアップを拝むことが可能となった。
「第八芸術」の誕生を観た。これを観ないてはない。
この映画も後の映画にどれ程の影響を与えたものか。
「シャイニング」はその最たるものか。
そうした目で見て行けば沢山の発見があるはず。

酒は呑むは女好きで、界隈では敵なしのボクサーのチャンピオンの父が娘に虐待を続けている。
これは少女にとって地獄以外の何ものでもない。
貧困~スラムであろうがなかろうが、この父は同じことをするはず。
(こういう人間は、どのような環境においても、確かにいる)。
このボクシングの試合の様子を殊の外しっかりと見せているのが印象的であった。
こうした迫力ある運動シーンも映画ならではの見せどころであろう。
映画そのものの表現芸術としての確立の為、様々な有効な要素を組み込んでくる姿勢が窺える。

チェンの店の前で倒れてしまったルーシーを助け、彼は二階でひっそりベッドに寝かせ彼女の看護をする。
綺麗な服と食事と人形も与える。心身に栄養を与え、愛情を注ぐ。
これは彼にとっても自分を取り戻し自分を救う行為となった。ふたりともに活き活きとしてくる。
本来、人間とはそういうものだ。否定的、弾圧的環境にあって、生きた関係など何処にも結びようはない。
(それに気づかぬ愚か者は多いが)。
彼女は父に暴力を加えられた後、笑えと命令され指で口の端を上げて無理に笑い顔を作っていたが、自然な笑みを浮かべるようになる。
彼女にとって生まれて初めての安全で落ち着いた、愛情に包まれた束の間の環境であった。

一次大戦が終わり、黄禍論も沸き起こり、人種差別も強まろうこの時期に、中国青年と貧しい虐げられた少女の絆である。
粗野、粗暴で自己中心、外国人を許せない差別主義者のイギリス人ボクサーと仏教の布教にやって来た元僧の対比は、彼ら(映画製作者)にとっての自己批判の構図でもあろう。
実際、ルーシーを取り巻くスラム街の輩は飛んでも無いゴロツキばかりである。
(ある意味、このような自己批判をしっかりできることは西洋文化のひとつの強みであろう)。
この環境で、繊細でか弱い少女が生き残れるとは到底思えない。
それでも家庭環境さえしっかりしていれば、安全基地さえあれば、何とかなろうが、、、
この娘の場合、肝心の家庭が最悪なのだ。娘がストレス発散の標的なのだ。しかもその父を戒める者はだれもいない、どころか娘がチェンに匿われていることを調べその父に知らせてしまうのだ。何という、、、。

父は手下を引き連れチェンの店に行き、眠る少女を見つけ部屋を破壊して少女を強引に家に連れ戻す。
少女は身の潔白を訴え暴力を必死で回避しようとするが、父は逆にエキサイトするばかり。
恐ろしさのあまり隣の部屋に逃げ込み鍵をかけると、彼は狂ったように斧でドアを破って来るのだ。
この恐ろしさは少女にとり途轍もないものであった。
強引に引きずり出され、許しを請う少女に鞭で叩き放題叩き、ついに彼女は絶命する。
彼女に捧げる白い花を店に買いに行っていたチェンは、意地の悪い同族からその件を知らされる。

狼狽えながらも急いで家に帰るチェン。
滅茶滅茶に部屋は荒らされルーシーはいない。彼女に与えた服が床に、、、。
ルーシーの家に走ると、独り息絶えた彼女が倒れていた。
そこに戻って来る父親。当然、双方共に、ただでは済ませられない。
父が斧で彼に襲い掛かろうとしたところで、チェンのピストルが素早く火を噴く。
(最後の決着がピストルになろうとは、、、)。
流石にタフな父も、もんどりうって倒れて死ぬ。
ルーシーをチェンは抱きかかえ、荒れ果てた部屋に連れ帰り、彼女の葬式を独り厳かにあげる。
取り分け美しいシーンであった。
リリアン・ギッシュは、ずっと後のトーキー映画の「ジェニーの肖像」と「狩人の夜」で観ただけである。
このような若い頃の彼女主演の映画を他にも観てみたい。

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