悪魔スヴェンガリ

Svengali
1931年
アメリカ
アーチー・L・メイヨ 監督
J・グラッブ・アレクサンダー 脚本
ジョルジュ・デュ・モーリア 原作
アントン・グロット 美術
ジョン・バリモア、、、スヴェンガリ(声楽家)
マリアン・マーシュ、、、トリルビー(モデル、歌手)
ブラムウェル・フレッチャー、、、ビリー(画家)
ドナルド・クリスプ、、、レアード(画家)
ラムスデン・ヘイア、、、タフィー(画家)
カーメル・マイヤーズ、、、オノリ(声楽の生徒)
ルイ・アルバーニ、、、ゲッコ(手下、バイオリニスト)

「私の最高傑作」しかし「願いは届かない」これに尽きる。
催眠術を使って操るも、歌姫としての才能を見出し見事開花させ、大事に育ててきたが、こころは離れたまま。
婚約者のビリーから自殺を装い彼女を奪い、声楽~オペラ界では大成功を収めたにも関わらず、、、
スヴェンガリとしては肝心のトリルビーとの恋愛関係を築きたいのだがそうはいかない。
スヴェンガリ夫妻として活躍しているのだが、形だけなのだ。
空しさの中で彼女を所有し続ける。
このパタン、一番、孤独を感じるものだ。絶対的な孤独ともいうべきか。

この美術、イケてる。
部屋にしても街にしても、、、
表現主義の作風。
どことなく全てが歪んでいる。
「カリガリ博士」ほどではないが、同じ系譜であろう。
スヴェンガリが催眠術をかけるときの目の輝きも充分に不気味でよい効果を上げていた。
チュザーレ(カリガリ博士の手下の夢遊病者)の目をやはり想起してしまう。
雰囲気的には怪僧ラスプーチンみたいな存在にもとれたが、こちらは病に侵されていてあれほどタフではない。
傲慢な姿からそう見えても。

折角、スヴェンガリ夫妻はヨーロッパ中で持て囃されるまでに昇りつめたにも関わらず、彼女が死んだはずのトリルビーだとビリーに見抜かれてしまう。流石は(元)婚約者である。
その当時は、彼女はまだ歌には目覚めておらず、画家のモデルとして生活していただけである。
他の友人は、声が違うしあんなに唄えるはずもないと否定するが、彼には分った。
河に投身自殺したものとして諦め、その後の5年を過ごしてきたが、ビリーとしては彼らにしがみつき公演を見続けるのみである。
ビリーとその友人の画家3人と逢った時も、彼女の催眠が解けてしまった事があった。
スヴェンガリは、公演を開けば立見席まで満員続きの盛況ぶりであったが、舞台の突然キャンセルを次々にしてしまう。
怒ったコンサートマスターからは契約を切られ、大きな公演の場を全て失ってしまう。
その後、地方のコーヒー店などで細々と続けては行くが、、、
スヴェンガリ自身の胸の病も進行しステージ自体も続けられなくなってくる。
そんな時に、またビリーが客としてやって来るのだ。
スヴェンガリから見たら、まさに彼こそ悪魔だ。

しかしスヴェンガリが悪魔であるのは、最後の最後に分かる。
大変な逆転劇を彼らの最後の舞台に仕込むのだ。
自分の死の間際にトリルビーに催眠をかけ自分以外にこころを開かなくしてしまう。
これで彼女はビリーとも真に結ばれることはない。
例えスヴェンガリが息絶え、彼がトリルビーの身を引き取ったとしても、もう呪いは解けないのだ。
勝利の笑みを浮かべてスヴェンガリは逝った。
悪魔として。
それにしてもゲッコというバイオリニスト、最後の最後までスヴェンガリに心から仕えていた。
わたしは彼に一番感心したものだ。

芸術家を夢中にさせ翻弄するキキのようなミューズがしっかりその役割を果たしていた。
マリアン・マーシュは他の映画でも見てみたい。
今であればエル・ファニングあたりか、、、
役者は揃っていた。
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