私は告白する

I Confess
1953年
アメリカ
アルフレッド・ヒッチコック監督
ウィリアム・アーチボルド脚本
ポール・アンセルム『Nos Deux Consciences』原作
モンゴメリー・クリフト、、、マイケル・ローガン(神父)
アン・バクスター、、、ルース・グランドフォート(国会議員の妻、かつてのローガンの恋人)
カール・マルデン、、、ラルー警視(担当刑事)
O・E・ハッセ、、、オットー・ケラー(ローガンの使用人)
ドリー・ハース、、、アルマ・ケラー(オットーの妻)
オヴィラ・レガーレ、、、ヴィレット弁護士(ローガンとルースの件で恐喝をはたらく)
ヒッチコックがいきなり画面を過る。大胆な出方だ(笑。
カナダのケベック州が舞台。
戦争から戻り敬虔な神父となった男が冤罪によって起訴され追い詰められてゆく波乱のドラマである。
告白して、その罪を相手の神父に被せて逃げるとは、凄いてだ。キリスト教の隙を突いたやり方か。
ホントにこの場合、神父はどうにもならないのか。告白された内容は他言できないものなのか。それが犯罪捜査に直結しようと。
それにしてもこの犯人、とりわけ夫婦で故郷を失って来たところを親身に世話をやいてもらった身でありながら、、、
家と仕事まで世話をしてもらっており、最も信頼できるということから、罪も被せられるに転換できる心性とは一体どういうものなのか。(日本流に言えば、まさに恩を仇で返すとなろうが)。

これは時代も国も関係なく何処にでも起こり得る人間の断罪欲望の物語でもある。
特にここでは、起訴された人間が神父であり、殺された人間がその神父とかつて恋人であった婦人を恐喝していたことから動機が疑われるものであった。しかも強盗殺人の犯人である使用人が神父に不利な時間(女性から相談を受けていた時)に法衣を着て犯行に及んだのである。
下衆の劣情を刺激するネタ~部分に飛びつき勝手に物語を膨らめたい輩共。
うんざりするほどこのては(身近でも許し難い糞屑を)見て来たが、古今東西の人間の性ともいえよう。
この時分からマスコミとそれに乗っかった野次馬のパワーを見せつける。
裁判の判決で陪審員から証拠不十分で無罪とされたにも関わらず、、、裁判長はこれに不服の含みを持たせる、、、
法廷を出てすぐにとり囲まれ民衆にもみくちゃにされる神父。「神父をやめろ~」これには真犯人の妻も居た堪れなかった。
それはそうである。多少の良心と理性が働けば黙ってはいられなくなるというもの。
(勿論、しめしめと黙って見物を続ける輩もいるものだが)。

もう何度となくこういった文は映画の内容にかこつけて書いては来たが、要するに人は下らない自己実現欲求からも人を罪人に仕立て上げ、ある種の達成感と優越感に浸りたいのだ。
何やら手頃な批判対象を見つけるとすぐさまそれまで何の関係もなかった(考えてもみなかった)人物を誹謗中傷しまくる。
メディアで煽られれば即ゴーサインとなるのだ。
こういった心性はいやほど見て来た。
今更どうというものではない。
しかしこの映画での(祖国を失った)ドイツ移民の夫婦である。
特に夫は、何故誰よりも親身になり自分たちの生活の世話をしてくれた神父に罪を擦り付けることが出来たのか。
告白したのだからあなたは誰にも真実を話すことは出来ない。
つまり教会システムを逆手にとって神父を脅迫しているのだ。
一番の味方(庇護者)であり理解者でもあった対象に有罪となれば死刑もあり得る罪を被せる行為が、告白したのだから誰にも言えないはずというルール上で出来てしまうというこの心性は、奇妙で病的としか思えない。
自分が罪から逃れるのみならず相手を殺人罪~有罪に陥れようとしていることを、分かってやっていることが異様なのだ。これは、恐らく自分(たち)が受けて来た不遇(迫害)の人生において本当にこちらの為に身を挺して庇ってくれる人がいるかどうかのひとつの賭けに出ているのだろうか。そういった面から謂えば宗教的な感もある。
そしてもしわたしの告白を刑事に告げたら、あなたも他の人間同様の臆病者に過ぎない、腰抜けだ、などと恫喝する。
いやその強がりより「あなたは、一人ぽっちだ。友達はいない」と続く言葉がやけに気になった。
つまり人間として、ひとり真実を抱え持って逝く孤独と一人ぽっちという亡命者である自分を重ね同一視しているのか。
わたしもあなたも同じなのだと、謂いたいのか。
過去にわたしの身辺にも似たようなモノが少なからずいたことを思う。

今回は、犯人の奥さんが無罪で裁判所を出ても人々の非難の下でリンチにかけられているような様子に耐え切れず、真実を話しに駆け寄ったところを夫に撃たれて死んでしまい、そこですべてが判明することに。
この夫は、向かいのホテルに逃げ込み、最後の最後まで、神父に向い刑事にわたしの告白を伝えたのかどうかを銃を片手に逃げながらしつこく問いただすばかりであった。
ここに徹底して拘り続けるものがあるのだ。最愛の妻を撃ち殺し、自分の罪を逃れること以上に。

考えさせられる映画であり、相変わらず見事な展開の作品であった。
ヒッチコック映画はいつもヒロインが目立つが、この映画でもそうだが、むしろわたしは犯人の奥さんの女優の繊細な感情を表す演技に惹かれた。
NHKBSにて
