小さな情景展 序

S君は結婚するまで、江ノ電の「鎌倉高校前」から白樺並木の高台にある実家に住んでいた。
興味深いのは、彼はそこで暮らしている間、一度も下に広がる海岸に降りたことがないということだ。
一度くらい海岸で海を眺めて過ごそうとか思わなかったのだろうか、、、。
遠方から朝5時に波乗りにサーフボードを抱えて人の集まるような海岸である。
(それを密かに見渡す小窓が彼の部屋にはあるのだが)。
無かったらしい。行ってみる気など。
確かにあからさまな海~海辺は描いていないのだ。
だが海が嫌いという訳ではない。
実際に海辺でスケッチしようなどという無粋な真似をしたくないのだ。なんというダンディズム!
、、、いやこれはわたしの冗談で言ったことであり、実際のところどういう理由であるかは、未だに彼には聞いていない。
彼の作品として、海を連想させる~海の楽しさを演出するかのような完全に人工的なテーマパークが幾つも生成されてきた。
そこは海や海辺から抽出した諸要素が(変容を経て)充填されていた。
あたかも下界に降りずに海の楽園を描くとこうなるのだ、、、というかのように。
以前、彼に言ったことがあるが「鎌倉高校前のレーモン・ルーセル」とでも、改めて呼んでみたくなる(笑。
彼の絵はどうしてもナイーブ派画家の範疇で観られてしまう余地はあろう。
確かに素朴さや懐かしさ~幼少年期の思い出は彼の絵にも多く見出されるところである。一見した印象には近いものを感じるはずだ。
しかし牧歌的で長閑な表象に映っても、尋常ではない平面性~歪曲した凝縮性に気づきときとして息苦しさも呼ぶ。
別にナイーブ派がどうのということではなく、何らかの一派として捉えてしまうことで微分的な差異を見落とすこととなり絵の魅力を味わい損ねる場合も多い。似て非なるものとはよく言う。
彼の描画の基本は点描であり、速乾性のリキテックス(アクリル絵の具)による隙間を潰し畳み掛けるような制作から始まった。その執拗な細密さと装飾性は自然の環界の感触、身体性からも程遠い。太陽光も特殊な照明器具を感じさせることが多かった。その時期の制作を自虐的なものだったと述懐していたことがある。その制作が彼の前期とも前史とも呼びたい20年間続く。
しかしゆったり時間を充分にとって新たなペースで制作したいという欲求と、主に緑(黄色の青への混色)の多様性の探求が容易に乾かない「油絵の具」の使用を要請した。
ここに展示された絵は1979「夏の午後」を除き油彩による作品である(但し、2012「夏休み」は明らかにリキテックス紀の内容であり、そのころの作品を油絵の具で再生したもののようだ)。
何より彼独特のデフォルメによるパターン化した形体と筆致。遠近法からの逸脱、そこから生じる空間の歪みと固有時の併存である、、、それは後半にゆくに従い多様化し広がりは見せてきているが彼以外の何ものでもない。
ある種喪失感はあるが、トラウマによる寂しさや物悲しさの痕跡の洗い流され構築された模型世界の様相を呈するのだ。
それは遠近法による整序を解かれた未知の光である郷愁~憧れに染めあげられた絵画とも謂うべきか、、、。
拡張された「郷愁」に彩られた絵と呼びたいものとなる。
その凍結した時間と物質的次元を持たない空間が、かなり俯瞰的で自在な構図と動きを生んでゆく。
実際、彼はこれらの絵をジオラマとして、粘土やベニヤ(ペンキで着色)やプラスチックのオーナメントや豆電球、モーターなどをもって細密に幾つも作っている。(子どもの玩具にもしていたそうだ)。
ほぼ何の躊躇もなく3Dにも置き換わってしまう世界。もしかしたら平面絵画はその設計図というか見取り図であったものか、、、。
単に素材は異なってもシームレスに続く創作行為に過ぎなかったのかも知れない。
それにしてもジオラマ制作も、集中と根気を要する作業であったはず。
愉しくて夢中になってやっているのではあろうが、やらずにもいられないのだ。きっとそういうものなのだ。
愉しい苦行かも知れない、、、。
兎も角、この行為は、現代美術の枠に対する批判~自己解体の知的作業でありかつ普遍性を目指した「藝術行為」の対極にあるものだ。そういった意味で、極私的~私小説的な絵画であり自己充足的な行為と謂える。
しかしその個人的で本当にあったか分からぬような秘密~記憶を垣間見るような一種の気恥ずかしさや恍惚さの方にわたしたちは共振する所が大きい。
その「郷愁」を感じる為、きっとまた暫くして彼のお宅に絵を観に行ってしまうはず。
ここには、S君の止むにやまれぬ「仕事」の最初期から最近までの作品が彼のチョイスにより並んでいる。
わたしとしては、何であの作品が無いのか、と思うモノも幾つかあるが、それはそのうちわたしのブログで紹介してみたい(笑。
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