言葉に付着した汚れについて
いよいよ「君自身に還れ」の3分の1にさしかかると、池田氏との対談相手の大峰氏が仏教学者であることから、宗教の土俵で話すことが中心になります。池田氏も宗教の話を突っ込んでしたい、という姿勢です。
わたしは、このへんになるとかなりポカンとしてきます(笑
もう理解が成るの世界ですから。
仏教こそ言葉の意味を単に頭で理解したり記憶したりしても全く意味のない世界です。
しかし本来すべてがそういうものです。
認識とは。そういうものです。
言葉とはそういうものです。
仏教も何も関係ないです。
ここで大峰氏も言葉そのものに抵抗を示す人がいるが、それはその言葉に付いた垢や埃のせいだというようなことを指摘しています。「神」と聞いて大概の人はうんざりするはずです。かく言うわたしもそうです。
「神」に本来の「神」を取り戻すのは、しかしかなりの修行が必要でしょう。
これはどうしたって個々の問題になってゆきます。
ある意味、個々のやるべきことは、言葉を奇麗に磨くことでしょう。
自分でものを根本的に考え直す作業がひとつ、必要なんですね。
それ以外に考えられない。
すべての言葉がおかしくなっていますから。
本当にそれは、ひどいものです。
そして、必要のない言葉からは逃れてゆき、シンプルな場に身を置きたいと思います。
例えば大峰氏も挙げています、「格差社会」なんですか、というところですね。
何においての格差なのか?
経済においてですか?
ならそう言えばよいだけの話です。
「格差」という言葉で「格差」が実体化する面は大きいはずです。
そんなもの無い人には無い。

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わたしは、このへんになるとかなりポカンとしてきます(笑
もう理解が成るの世界ですから。
仏教こそ言葉の意味を単に頭で理解したり記憶したりしても全く意味のない世界です。
しかし本来すべてがそういうものです。
認識とは。そういうものです。
言葉とはそういうものです。
仏教も何も関係ないです。
ここで大峰氏も言葉そのものに抵抗を示す人がいるが、それはその言葉に付いた垢や埃のせいだというようなことを指摘しています。「神」と聞いて大概の人はうんざりするはずです。かく言うわたしもそうです。
「神」に本来の「神」を取り戻すのは、しかしかなりの修行が必要でしょう。
これはどうしたって個々の問題になってゆきます。
ある意味、個々のやるべきことは、言葉を奇麗に磨くことでしょう。
自分でものを根本的に考え直す作業がひとつ、必要なんですね。
それ以外に考えられない。
すべての言葉がおかしくなっていますから。
本当にそれは、ひどいものです。
そして、必要のない言葉からは逃れてゆき、シンプルな場に身を置きたいと思います。
例えば大峰氏も挙げています、「格差社会」なんですか、というところですね。
何においての格差なのか?
経済においてですか?
ならそう言えばよいだけの話です。
「格差」という言葉で「格差」が実体化する面は大きいはずです。
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