科学技術の支配とは ~ この不気味な機械
今回も池田・大峰両氏の刺激的な対談から触発されることを綴ってゆきます。
科学技術に対し人間はどのような立ち位置があるのか。
とはいえわたしの感覚から言えば、すでにかなりの深層まで「科学技術」は降りて透明化してしまっている現実かと思われます。
科学技術は人間のあらゆる局面に浸透しています。
取り巻く環境はもちろんですが、
身体の中にも組み込まれて来る度合も高まっています。
再生医療についてもまさに科学の成果という形です。
話す聴くもすべて科学技術が仲立ちしています。
もちろん調べる。探すも。
機械がもう身体に分かち難い機能として入ってきています。
それが前提です。
するとどうなるか。
コンピュータが身体化していると、何でも検索で「答えが得られる」という前提が出来ます。
ただ速く反射・処理することが自然となり、効率的で良いこととされます。
しかし物事には答えのないもの、問いのないものも、あります。
価値に関してもそうです。
しかも機械は全く価値には関与しません。
人間側から言うと、すべての価値(であったものこと)が相対化している地平に作動しています。
それが透明化した現実が科学技術の支配する世界と呼べます。
池田・大峰両氏はヤスパースとハイデッガーを引いて科学技術に対する人間のあり方、現状について話を進めます。
(答えがあるとはおもえないテーマを対談してゆきます)
まず、どのような状況が訪れるか?
極端な例では、「おれは死ぬことに何の恐れもない。人が死ぬことが怖いなど全く理解できない。おれは人を何人も殺した。死刑にしろ。」という最近の殺人犯に窺える自分が犯した犯罪に対する認識のパタンです。
これは、すでに人間の範疇を逸していると。しかしこのような感受性は特異なものではなくなっている。
死に対する恐怖を持たない生命は、少なくとも人間の言語体系には入らない。
これは機械のもつ善・悪に代表される価値感覚の全くないニュートラルな論理形態です。
人そのものが機械化しています。
ヤスパースは、「人間が支配するはずの技術が人間を支配するという逆転が起こった。その技術を、なんとかしてもう一度人間の手中に取り戻すことが大事だ」(技術の管理)ということですが、そのような考えに対しハイデッガーは「その考えの中にすでに技術が入ってきている」ではないか、ということです。
確かに、そうです。
もはや、われわれは科学技術の外には出ることが出来ない。技術はこの先どのように展開するのか?
「ハイデッガーは、技術は既成の人間の理念をそっくり無効にしてしまう危険をはらんでいるという警告」を発しています。しかし「技術の本質そのものの運動によって転回が起こる」のを待つということも述べています。(そのときが救いの契機となるのでしょうか?)
「そして何より言葉が危うくなっている」という大峰氏、池田氏の警告です。
「すぐに答えは何ですか」と聞いてくる感性。「ほんとうのことばを求める」価値観は全く欠如。
今話題にもなっている、コピぺについては「詩歌の世界でもコピーが氾濫していて、、、その中には現代俳句史の有名な俳人の句を自分の作品として堂々と投稿してくる人たちがあるんです」と大峰氏。
池田氏も「絵画の模写も問題になっていましたね。まったく同じなのに、違うって言い張っていました。」「自己顕示欲だけは凄い。」という点もあわせて指摘。
結局、「神も悪魔もいない」地平に在って、激しい自己顕示欲に駆られて生きる生命体の出現が見られるようになった。
法にのっとり俺は殺人を犯したから死刑にしろという理屈。しかし罪悪感などは全く持ち合わせてはいない。
法に対しての責任のみで、他者に対する想像力は皆無。
言葉の問題以外のなにものでもない。
この不気味な機械たち。

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科学技術に対し人間はどのような立ち位置があるのか。
とはいえわたしの感覚から言えば、すでにかなりの深層まで「科学技術」は降りて透明化してしまっている現実かと思われます。
科学技術は人間のあらゆる局面に浸透しています。
取り巻く環境はもちろんですが、
身体の中にも組み込まれて来る度合も高まっています。
再生医療についてもまさに科学の成果という形です。
話す聴くもすべて科学技術が仲立ちしています。
もちろん調べる。探すも。
機械がもう身体に分かち難い機能として入ってきています。
それが前提です。
するとどうなるか。
コンピュータが身体化していると、何でも検索で「答えが得られる」という前提が出来ます。
ただ速く反射・処理することが自然となり、効率的で良いこととされます。
しかし物事には答えのないもの、問いのないものも、あります。
価値に関してもそうです。
しかも機械は全く価値には関与しません。
人間側から言うと、すべての価値(であったものこと)が相対化している地平に作動しています。
それが透明化した現実が科学技術の支配する世界と呼べます。
池田・大峰両氏はヤスパースとハイデッガーを引いて科学技術に対する人間のあり方、現状について話を進めます。
(答えがあるとはおもえないテーマを対談してゆきます)
まず、どのような状況が訪れるか?
極端な例では、「おれは死ぬことに何の恐れもない。人が死ぬことが怖いなど全く理解できない。おれは人を何人も殺した。死刑にしろ。」という最近の殺人犯に窺える自分が犯した犯罪に対する認識のパタンです。
これは、すでに人間の範疇を逸していると。しかしこのような感受性は特異なものではなくなっている。
死に対する恐怖を持たない生命は、少なくとも人間の言語体系には入らない。
これは機械のもつ善・悪に代表される価値感覚の全くないニュートラルな論理形態です。
人そのものが機械化しています。
ヤスパースは、「人間が支配するはずの技術が人間を支配するという逆転が起こった。その技術を、なんとかしてもう一度人間の手中に取り戻すことが大事だ」(技術の管理)ということですが、そのような考えに対しハイデッガーは「その考えの中にすでに技術が入ってきている」ではないか、ということです。
確かに、そうです。
もはや、われわれは科学技術の外には出ることが出来ない。技術はこの先どのように展開するのか?
「ハイデッガーは、技術は既成の人間の理念をそっくり無効にしてしまう危険をはらんでいるという警告」を発しています。しかし「技術の本質そのものの運動によって転回が起こる」のを待つということも述べています。(そのときが救いの契機となるのでしょうか?)
「そして何より言葉が危うくなっている」という大峰氏、池田氏の警告です。
「すぐに答えは何ですか」と聞いてくる感性。「ほんとうのことばを求める」価値観は全く欠如。
今話題にもなっている、コピぺについては「詩歌の世界でもコピーが氾濫していて、、、その中には現代俳句史の有名な俳人の句を自分の作品として堂々と投稿してくる人たちがあるんです」と大峰氏。
池田氏も「絵画の模写も問題になっていましたね。まったく同じなのに、違うって言い張っていました。」「自己顕示欲だけは凄い。」という点もあわせて指摘。
結局、「神も悪魔もいない」地平に在って、激しい自己顕示欲に駆られて生きる生命体の出現が見られるようになった。
法にのっとり俺は殺人を犯したから死刑にしろという理屈。しかし罪悪感などは全く持ち合わせてはいない。
法に対しての責任のみで、他者に対する想像力は皆無。
言葉の問題以外のなにものでもない。
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