S君 小さな情景展 Pre001

いよいよ8月下旬に迫ったS君の絵画展「小さな情景展」の作品一覧から第一弾(笑。
以下3回シリーズの予定で、S君より伝えられている作品ラインナップにあるそれぞれの絵を確認しておきたい。
(わたしにとってすでにブログで取り上げ知っているものと初めて見るもの、あれ何であの作品がチョイスされないのか、、、色々と想いは込みあげてくる)。
写真はS君より送って頂いたままのもので、実物より一回り小さくフレーミングされている感じのモノもある。
気にはなったが、彼としては、あくまでも展示するものが分かればよいというレベルのものだろう。
また、差し替えなどの変更もまだあるかも知れない。
一口に言って彼の絵は、癖になる。一度面白いと思って観てしまうと、次が気になり今どんな絵を描いているのかも気にしてしまうそんな関りが続いている(わたしにとって)。
なお、わたしが美術展の解説と一言コメントを仰せ付かっている関係上、ここでも全体を俯瞰した上での個々の作品についてのコメントも(以前書いたものも含め)取り敢えず記しておきたい。少し長めになるかも知れぬが、、、。
(当日用に改めて書くつもりではある)。
1979
「夏の午後」

これはすでに取り上げている。S君の仕事-Ⅰにて。
「勿論、覗き見しているのがS君である。
本人も自分の中の鉱脈~郷愁に染められた記憶を覗き込んでいるという行為を対象化~自覚している様であろうか。
描くことを意識し始めたという、、、。しかし遠いね、彼女、、、。」
この絵から始めるのは分かる。
自分が絵を描く訳をはっきり意識し、晴れて好きなことを好きなように描いてゆくぞと決めた記念碑的な絵であろう。
実際にありそうな外界に見えて、とても概念的な記号で構成された隙間の無い風景であり、よく見ると結構恐ろしい(笑。
1999
「妖精の泉」

この絵は、S君の仕事-Ⅲで取り上げている。
だが、この作品自体のコメントはしていない。
彼の拘りの強さに関して只管述べているだけ(笑。
大変色使いがビビットになり、世界が活き活きとしてキラキラ煌めき出す。
「夏の午後」から見ると20年も経った作品である。あ~っ感慨深い、、、。
絵を描き続けることで感性が解放され豊かになってゆくことが実感出来る。
形の捉え方は概念的なものが残るが、装飾的な昇華とも受け取れる上に、タッチや色彩の自由度がグンと高まった。
これをもって、テクニックも上がったと謂いたい。
小手先のモノではないのだ。
しかし何とあからさまに(臆面もなく)ファンタジック。
2005
「紫陽花」

初めて見る絵である。似ている絵は少なくないが(S君の絵である以上、当たり前だが)ある意味典型的な絵でもある。
この隙間なく充満・充填したモチーフのフィギュア全てが何というか空気を締め出している(自然法則を無視している)彼ならではのもの。
それによる人工的な模型像が現出する。
光が強く射しているように見えて、一様に明るい。装飾的な日光。説明的な生垣(まず手入れは不要であろう)。
そして傘をさす女の子が佇むが何かを志向する気配は無い。その向こう川の飛び石に犬を連れた男の子がいるが、この二人を繋ぐ遠近法は成立していない。これだけの体の大きさの差はこの位置関係からは生まれない。二人は別世界にいるのだ。
この独特な歪みの配置構成。彼の好きなカミーユ・ボンボワをはじめとするナイーブ派の強度が感じられる。
一見、素朴で自然に感じられるのは、優し気な装飾性からか。粒や筆致の感じられないテクスチュアからか。
実は恐ろしく特異な世界が成立してしまっているのだ。
下手な判じ絵やだまし絵などよりずっと怖くてある意味、癖になる絵でもある。
2006
「学校への道」

S君の仕事-Ⅳで取り上げた作品。
「面白い構図である。
画面上部、水平に鉄橋を走るのは貨物列車の先頭部か?
黄緑の車体であり、下に道を挟んで広がる畑も同じ黄緑である。
左下には黄色いランドセルの少女が何かを見やっている。
植物の上にとまっている白い鳥か。
空や雲や遠方の建造物も含め黄色がポイントである。
そうした時間の記憶がわたしにもある。」
そう、まさに彼の絵は自らの郷愁に接続させる装置なのだ。
モチーフの形態だけでなく黄色の郷愁である。
この色が幼少年期の詩情をチクチク刺激してくる。
2006
「湘南電車幻想」

初めて見るが、何という暴挙。
極めて性的で原初的な生命エネルギー漲る不気味さだ。
青い三輪トラックが小動物のように怯えているではないか。
おまけで添えられた男女はあくまでもこのドラマには関与していない。
列をなして歩いている鳥とは同じ地平にいるようだ。
ともかく、この大きな芋虫のような列車の即物性が生々しく際立つ。
突然の侵害など、生命の邪悪さみたいなものを夢想する。
(S君もわたしも好きな怪獣ものを思い起こす)。
2007
「森の遊園地」

この絵も初めて見る作品。広がりと時間が定かでない場である。そして特異な光の強度。
少女ともう一人幼い少女の他に入園者がいないこと、更に果て~先があるのかどうかはっきりしないところから、この地がここだけで完結した場であることが想像出来る。光から推測できる時間帯は、トワイライトか。
走っているのかどうか分からないが三つの種類の異なる小さな機関車が一台は我々の背後に向け、もう一台は前方彼方へ向かい、もう一台は高架線を画面右から左に真っ直ぐ横切る方向に乗る。但し速度は感じられず。停車している可能性は高い。行き場が無い為、置かれただけかも知れない。
そして画面を手前から彼方の奥行に向けて弧を描き伸びる線路の交差する上に妖精が宙に舞う。
S君の夢の中~ファンタジーの遊園地としてしまえばそれとして収まるが。
果たして森の遊園地(の時間)はどこかで息づいているのだろうか、、、。
全てが儚く緩やかに凍結しているトワイライトの時間。
彼の絵によく出現する後ろ向きの少女の視線は、ここでは背後に向かった汽車の荷台に置かれた馬の乗り物に向けられている。上方に浮かぶ妖精は注意を向けられる存在ではなく、少女と同格の何かを観る存在であろうか。
しかし何らかの対象への意識~志向性がほとんど感じられない。少女の手を引き何やら光る棒を持っているとても幼い少女が一番意識が何かに向かっているように思われるが、、、荷台から飛び出した妖精は彼女の棒の一振りによるものか。
妖精が何人か舞い上がってゆく、、、この絵の中での特異な動き~揺らぎである。
しかしこの妖精がわたしの部屋の窓までやって来る気配は無い。今ヤモリが歩いているところだ。
2007
「湘南幻想青大将」

S君の仕事-Ⅴで取り上げている。
「緑の匂い立つ画像である。やって来る電車も緑。光がとても優しく、本当の光らしい。
俯瞰してるが、たまたま出逢った世界の切り取りである。
緑の木々の向こうから顔を出してくる電車はどことなく青虫を想わせる。もしかしたらかつて木々の内に見出した葉っぱの上を歩く青虫とのダブルイメージになっているのかも知れない。微視的・記憶上のイメージが様々な絵の要素と絡み融合している可能性は高い。
右側をカーブしてゆくトロッコが可愛い。しかしどちらに向けて走っているのか、又は止まっているのか分からない微妙なバランスを保っている。しかし電車との何らかの対応(力学的)関係はあるように想える。
この絵がわたしを引き込むのは、何より光と影である。
光がとても柔らかく繊細な煌きに充ちている分、影の癒しの効力も高い。
影が補色になって、とても居心地が良い。」
わたしはここで初めて今いる世界と繋がる。
今過ごしている世界の断面と出逢う。
この青虫電車~青大将はちゃんと次の駅に着くであろうし、このトロッコも何処かに必ず行き着くことが予想できる。
目の良さそうな猫がこちら(鑑賞者)を意識しながら水面辺りを探っている。魚がきっと潜んでいるのだろう。
そんな日常世界の厚みを感じる一幕に安堵する(笑。
2010
「MoonLight Serenade」

初めて見る絵だ。
まず感じたのは、ここはどのような地形なのか、、、やけに水平線が凄い手前で切れてるなという印象。
事によると、その船のすぐ向こう、水上に聳える建造物のすぐ後ろは、滝なのかと思う。
するとこの静けさのすぐ向こう側は、飛んでもない瀑布が見られたりして、、、。
しかし、それは違うことが分かる。
向こう側から波が岸辺に打ち寄せているではないか。月の潮汐力が働く遠い大洋から及ぶ力が感じられもする。
それでもどうしても海洋~大海が感じられないのは、建造物と船の大きさにも起因するが、S君のなかでこういう構図が要請されたのだ。
水を使ったイメージのジオラマであり実際に不可能な場を絵で現したと謂うしかない。
所謂、絵なのである。S君のシステムにより成立する絵画世界なのだ。
S君が絵に拘る訳である。
2010
「湘南幻想ワニ園午後」

S君の仕事-Ⅴで取り上げた作品。
「プレ・ラファエル派の絵だと謂っても信用する人は多いと思う。(電車があるのは変だが)。
新しい光と色彩と筆致を得たうえでの点描もフルに活かした制作だ。
かなりの力作である。
池には鰐もいる。
電車はやけにリアルで、上に観られた郷愁に染め上げられた車両ではなくすっきり洗い流された姿を見せている。
そして何と言っても植物の描き方の多様性であろう。
海と沖に輝く光はもうお手のものか、、、。
しかし一番異なるのは、いつもの後ろ姿の少女ではなく、横向きの座ってもたれかかり夢想に耽る妙齢の女性である。
わたしがプレ・ラファエル派と言ったのもそれが大きな理由となる。
左上部の木陰が少し彩度が高すぎる感じはするが、精緻で繊細でありながら全体構造がしっかりした調和のとれた絵である。」
以前にも書いているが、力作であり、わたしの好きな作品のひとつだ。
プレ・ラファエル派のモデルめいた女性といい、人格を持ったような鰐といい、ちょっと現実離れしていて、現実的な世界の切り取りも実現している。「湘南幻想青大将」と同様に現実の一齣として描かれている。どちらも「幻想」と題にあるが、飽くまでも彼の身近な現実を描き込むなかから溢出した豊かな幻想である。
彼の真骨頂と言えよう。
明日☆☆ Pre002に続く。
一気に書いたら、疲れた。明日と明後日も大変そう(笑。
- 関連記事
-
- S君 小さな情景展 Pre003
- S君 小さな情景展 Pre002
- S君 小さな情景展 Pre001
- ついに実現、S君の絵画展
- F3号の三連作に落ち着く