音楽劇ヨルハ Ver1.2

NieR:Automata
2018年
住知三郎 舞台監督
ヨコオタロウ『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』原作・脚色・脚本
岡部啓一(MONACA) 音楽
エミ・エヴァンス、河野万里奈、二号(石川由依)、四号(田中れいな)、二十一号(花奈澪)歌
後藤貴徳 ギター
川治恵美 ピアノ
島田光理 バイオリン
花奈澪、、、二十一号
持田千妃来、、、十六号
田中れいな、、、四号
石川由依、、、二号(隊長)
雛形羽衣、、、ローズ(隊長)
橘杏、、、アネモネ
内田眞由美、、、ダリア
清水凜、、、マーガレット
野村真由美、、、ガーベラ
黒木美紗子、、、リリィ
マリアユリコ、、、デイジー
舞川みやこ、、、ホワイト(司令官)
石川凜果、、、フタバ(オペレーター)
兼田いぶき、、、ヨツバ(オペレーター)
鈴木桃子、、、タームα(機械生命体端末)
荒井愛花、、、タームβ(機械生命体端末)
北千住の「シアター1010」にて開演
(北千住懐かしい。もう十数年行ってない)。

舞台劇を映像配信したもの。
この形式のモノを観るのは、恐らく二度目か。
「エクストラショットノンホイップキャラメルプディングマキアート」以来。
但し本作は、「音楽劇」であり音楽の占める部分が大きい(ダンスも)。
またゲームNieR:Automata「ニーア オートマタ」が元にあるとか。
ゲームをやらないわたしには、さっぱりだが、200万本売れたヒット作だという。
その為か、この舞台会場もかなりの熱気が感じられた(会場後ろからのキャスト登場もある)。
独特の音楽世界があり(すでにゲームで使われている音であろう)そのなかで話が展開して行く。
ストーリーとの絡みが深いどころのものではない。演出を超えた位置にある。まさに音楽劇。
殺陣もダンスのように流れる充分に練られた動きであった。

最初の曲が「ノルマンディー」、、、
「真珠湾降下作戦」でヨルハの舞台が送られるというもの。
実存的苦悩に満ちたアンドロイドの物語であり。
その世界観にはとても馴染める。
何だか二次大戦をどこかでイメージしてしまうが、戦争以外に何らかの接点~重なりはこれを見る限りは掴めない。
地球を侵略する『機械生命体』と人類の間の戦争であるが、実際に彼らと闘うのがヨルハたちアンドロイド部隊ということだ。
人類は月面に移住しており何らかの計略の下、ヨルハたちを投入してデーターの収集をおこなっているらしい。
西暦11941年とは、随分遠い未来だこと。この時期になればすでに人類など死滅しているはずだが。
それはともかく、人類の為に地球を奪還する目的で地球(真珠湾?)に投下されたアンドロイド部隊がかなり高い知性と感情を備えアイデンティティの問題も抱え持つ存在となっていることは、、、単なる兵器をすでに超えてしまっていることを意味する。

疑似記憶を植え付けられて誕生するそうだが、生活して行くなかで固有の記憶も蓄積しアイデンティティも形成しようとする。
何でまたこのような多様性と複雑性を組み込んだヒト型兵器を作ったものか、、、。
また、かなり昔の型のアンドロイドも生き残りレジスタンスとして機械生命体と自主的に戦っていたのだ。
自主的にというのは、当局からすでに見放されており打ち捨てられた者たちであり、自らすべきことを成すしか生きてゆく道が無くなったことから来る。
その旧部隊に4人の生き残った新型アンドロイドであるヨルハ部隊も加わり協力して機械生命体に立ち向かう流れとなる。

ヨルハたちもすでに人類から見放されていた。捨てられた者同士で手を組んだ形だ。
しかしその立ち位置で何故人類の為に働くのか。
彼女らにおいては、すでに死んでしまった多くの仲間の死を無駄に出来ないということが一番の理由のようだ。
ほとんど人間と変わりない。
観ている間、破壊されなければいつまでも生きているアンドロイドと言う感じではなく、まさに人間の女子の戦士という形で見ていた。
それもとても多様な個性を持つ何処にでもいるであろう女子である。
ひとつ人間の為に機械生命体と闘う運命を背負わされて生まれたということが特殊であるが、今やそれも彼女らの義務~任務ではなく彼女らの自由意志に任された目的となっている。
似て非なるモノであり、自らが主体として選び直した目的である。カント的に。

機械生命体の端末の赤い二人の少女もアンドロイド~ヨルハやレジスタンスの精神を揺るがし搔き乱すような刺激を与えるまでにはなっていなかった。今後、面白いね、もっとここで遊んで行こうね、と言っているところから、どんどん学習して変化~進化してゆくこの2人を含め機械生命体が、どのような形で独り生き残った二号と絡んで来るかも期待したい。
(生き残ったのがたった一人というのが厳しいが、それぞれの基本データがある以上、上層部の意向で復活もあり得ようが、どうなのか。わたしは彼女らに名を付けさせてあげたい。名前を結局、もらわずに皆、死んでしまった。主体としての覚醒は格段に上がるはず)。
二号も生命体(端末少女)も変わってゆく事は間違いない。両者ともに常にその過程にある。
二号も地球に降り立ちレジスタンスや他のヨルハの仲間たちと関わるうちに随分変貌を遂げている。
許容度~受容性が上がる。片やタームたちは、好奇心が益々上がって行く。これは面白いことになるだろう。
このような戦争は、テクノロジーの発達だけでなく精神への影響が大変大きい。
機械生命体の学習が進めば、彼らの変貌も劇的なものをみせる可能性も高いであろう。
(わたしはこの噺~ゲームがこの先どうなるのか、全く知らずに言っているだけだが)。
あるところで域を超え相転換を起こす場はあって良い(あって欲しい)。
そうでなければ面白くないではないか。
どのように両者が相克しつつ絡みついてゆくのか。
複雑性、多様性をテーマに取り込んでいる以上、何らかの(総合的な)カタストロフを期待したい。
ともかく、ハルヒやまどか☆マギカ並みに面白いものであった。
音楽・演技ともに融合度が高く舞台を会場で観たらその空気はさぞ緊張感に満ちていたであろうことは想像がつく。
AmazonPrimeにて
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