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言葉(沈黙)と詩人

池田晶子氏の書籍「君自身に還れ」から、また数ページ分ばかり、内容とその感想を、、、。
というより、触発された言葉をもとに、ほとんどわたしの勝手な見解を述べていきます(笑。
あまりにわたしのテーマに近いので、一冊まるごとこの調子で関わります。
*「」は、すべて池田氏・大峰氏の言葉です。


そう言えば、大学の頃聞いたことがあります。
ブッダのこの話です。「弟子に『霊魂はあるかないか、来生はあるかないか』訊ねられたとき、沈黙で答えた。」
これについて「(ブッダは)相手が本当の問いに返らないから、黙っておく。」という沈黙による回答をした。
わたしははっきり言って仏教は苦手で、禅につてもよく分からない。
しかし内省のない問いが問のていをなさないのは分かります。
それのない問いなど、下らないお喋りのレヴェルでしょうから。
沈黙で答える。
沈黙は「有力な言語」に他ありません。

沈黙という言葉こそが必要なんです。
今は特に。
そして言葉に対するセンスですね。


さて、この本は僅か数ページで、「君自身へ還れ」の核心に到達します!(その先がどう展開していくのか今現在確認しておりませんが)

この世は、「イデアリスムスとマテリアリスムスの二つしかない」
「(フィヒテの要請は)、君の外にあるもの全てから目を向け変えて、自分の中へ還れ。」というものでした。「自分は物質だ、自分とは肉体だと思っている人は、唯物論しか選べない。」、が「自分は時空をはみ出している存在だという感受性をもっている」人は、イデアリスムスを選ぶことになる。
つまり、「詩人でない」か「詩人である」かの違いです。

ついでヘルダーリンは、誰もが、世の中に対し、「功績」を立てることで存在意義を築いていますが、功績以外の「実用性や有効性とは違う次元の生の次元」にも触れていると説きます。つまり詩人としても生きている、ということです。ヘルダーリンは勿論、詩人ですが、人間は全てそうだということです。つまり詩人としての度合いがそれぞれで異なるということでしょう。
そして、功績は水平方向の広がりであり、詩人としての次元は「垂直的精神性」と呼べる精神運動である。確かにショーペンハウエルもそう言っています。

一番ここで重要なことは「人間が自分の力で支配できない次元、詩はそういう次元に人間をつれていく。」ということです。
時間的存在を超脱する場へと。
ハイデッガーに言わせれば、「詩人とは人間と神の間に投げ出された者である。」となります。

それが仏教においては、菩薩こそ詩人であると。菩薩とは仏に向かおうとする人間の姿であるということ。
この点とても納得しました。


この調子で進めると、後10回ではとうてい足りませんね(笑
まだ数ページなので。


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