ラスト・エクソシズム

The Last Exorcism
2010年
アメリカ
ダニエル・スタム監督
ハック・ボトコ、アンドリュー・ガーランド脚本
パトリック・ファビアン、、、コットン・マーカス牧師
アシュリー・ベル、、、ネル(悪魔に憑かれた少女)
ルイス・ハーサム、、、ルイス(ネルの父)
アイリス・バー、、、アイリス(撮影クルー)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、、、ケイレブ(ネルの弟)
モキュメンタリーの手法で作られた臨場感ある映画である。
POVとは言え酔うような部分はない。画面の見難さもほとんどなかった。
よく練られた脚本で、二転三転する展開に目を離せない。どんでん返しもある。
そう言いながらも結構、ながら見をしてしまったのだが(笑。失礼。
物語(フェイクドキュメンタリー)自体はよく出来ていた。
つまり、主人公の似非牧師さんは、思春期特有の社会問題も含む一般的な被害~災難で捉えようとしていたのだが、実際は狡猾な嘘つき悪魔の仕業であったというオチであった。
まあ、一連の騒動が無垢で純粋な女の子の羞恥心から起きた事故で収めるには無理があり過ぎだろう。
身体の撓り具合が貞子を彷彿させるようなアクロバティックなものであるし。
もう雰囲気からして普通の人間の様相を超えている(何でずっと離れた牧師の泊まるホテルに瞬間移動しているのか、それだけとってもあり得んだろうに)。

コットン・マーカス牧師の立位置としては、今回のエクソシズムを最後にして牧師という職業からも足を洗おうと思っていた。
彼はしかし信仰を捨てても、基本的に善意の人ではある。
目の前の困っている人、弱者を観ぬふりは出来ない。
信仰の立場からではなく救おうとはしている。
それで今回のカメラクルー付きのエクソシズムでその種明かしをしつつ、悪魔に憑かれた人を治して、この信仰の真実~システムを白日の下に晒そうという魂胆であった。考えてみればかなり不遜で大胆な行動である。
(迷信により命を落とす例も確かに少なくないが)。
そして病院~医学に頼る。
しかしそれではどうにもならない。

であるから最後のカルト教団の悪魔の生誕儀式に行きつく必然性は分かる。
地域のまともで温厚に見えた牧師がそれの親分であったというのもなるほど、であった。
(アメリカの田舎の危うさもよく実感できるところか)。
弟もその手下であった。ということは、キリスト教の原理主義みたいな石頭のお父さんが一人で娘を守っていた形か?
もっとも危ないと思われていたお父さんだ。
アイリスなどは、病院でネルの妊娠が分かった時など、その相手が彼(近親相姦)だと思い込んだほどである。
それが、カフェに勤める若者がお相手であったと真顔で娘が告白する。彼に好意を持っていたと。
地域の牧師もそれを認める。
しかし悪魔は上手であった。
そのボーイはゲイであった。
これが発覚したあたりから、極めて深刻で深淵な状況が控えていることが分かる。

いかさま牧師が金儲けの手段にトリックエクソシズムをちいていたにせよそれを本気にして憑き物が落ちた心因性の病のクライアントも少なくなかったと思う。
文字通りラスト・エクソシズムにおいて、コットン・マーカス牧師が本当の意味で信仰を見出したというのも皮肉なものである。
森の空き地で悪魔の儀式が炎の中で行われていてベッドに寝かされたネルから何か得体の知れぬものがとりだされようとしているのだ。泣き叫ぶネル。その傍には父が縛り付けられていた。
純粋に目の前の人を救おうとするコットン。それに立ち向かう有効な力は信仰の力しかなかった。
彼は全身全霊をささげ十字架を翳して悪魔に挑んでゆく。
これで彼も天国に行けたはず。
最後だけはカッコよかった。
アシュリー・ベルという女優演じるネルは見事であった。
ちょっと人の出来ない姿勢、ポーズなどもして、悪魔憑依時の表情と通常モードをしっかり切り替えていた。
かなり体力的にも大変な演技であったと思われる。

この映画には”2”がある。
見ようかどうしようか迷うところである。
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