砂と霧の家

悲劇は、終盤のあの警官の仕組んだ、どうにも分かりにくい発泡の件で一気にカタストロフに向かった。
この分かりにくさは監督のミスである。
あの変な流れに行かなければ、その数時間前までは、問題は何とか解消しそうに見えていた。
あのシーンの説明的場面があれば、映画ももっと良いものになっていた。
最初から、偽善的で独善的な利己主義の権力を傘にきた警官がすべてを狂わせる装置となって作動している。
「家」に対する主張はイラン家族もキャシー(J・コネリー)も双方ともが正しい。
家をこころの拠り所とするキャシー、この家を元に一家の再建を夢見る苦境を強いられている元大佐。
共に何の悪意もない者同士。
単に行政側のミスでその家が競売にかけられたのだから、行政側が責任をもってこの一件を回収しなければならない。
家は高価な買い物である以上、双方が固執するのは当たり前で、解決は間に立つ存在次第だ。
しかし、それを働きかけるべき弁護士がまともに機能していない。
さらに、この物語を強引に悲劇へと差し向けていくのが、自分の欲に突き動かされ、正義や法を振りかざし、誇り高いイラン人家族を追い詰める警官だ。彼はキャシーを自分のものとするためキャシーに肩入れいているつもりで、彼女をも不幸に突き落としてゆく。キャシー自身もあまりに自制心に欠ける弱さが共に不幸を呼び寄せる機能を果たしている。
やがて物語は警官の企みも越えて最悪の悲劇へ向け、連動を重ね大きく動いてゆく。
ここの動きがもっと上手く描けるはずだが、というもどかしい想いを引きずりながら終盤へ。
確かにイントロとエンディングは良いのだが、いまひとつ流れがまとめきれていない印象が残った。
ベン・キングズレーの圧巻の演技。ジェニファー・コネリーの汚れ役の好演。
イラン人家族を演じた母、息子役も純朴で優しい、薄幸な運命に耐える役を見事にこなしていた。
憎ったらしい馬鹿警官も役者はそれを好演していた。役者自体は素晴らしい。
監督は誰だったか、今ひとつ肝心な所が描けていないと思う。
役者、特にベン・キングズレーは映画自体の出来がどうだろうと、その圧倒的な存在感で重厚な名作にしてしまうが、これについても、ジェニファー・コネリーとともに悲劇の感動映画にしてしまった。
ストリー自体よく出来ていて、役者も大変素晴らしいので、ちょっと惜しい気がした。
2003年度アカデミー賞3部門ノミネート作品。アメリカ制作。

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