バルティス礼賛

わたしはこれまでに、かなり好きな画家であっても、展覧会初日にわざわざ見に行くようなことはなかった。
WinのOS発売日でも、初日に前日から並ぶような人々を見ていると、初日というものが、はっきり怖い。
何で人は初日にこだわるのか?
しかも一番先頭に並ぶとか?!
よく初めて開店するラーメン屋やステーキ屋が開店記念価格でキャンペーンをする。
それであれば、行くのも解る。わたしも行った。
しかし、初日に、しかも先頭で待ってもなんのメリットもないのに。
二日目じゃダメなんですか?(2位ではダメなのですか?どこかで聞いた)
そう言えば、本も初版にこだわる人が多い。
第二版だとおまけがない、あとがきがない、という訳でもないし、前に買った本が読み終えていないのに、次を買ってもなかなか手につかない。結局読めない時もある。例外的にたちまち売り切れる本なら確保しておくものだが。村上春樹とか。
後になると図録がなくなるというケースはあるのだろうか。
そうも思えない。
と、思いこれまで一度も初日の展覧会に行ったことがなかった。
それは、混むに決まってる、という初日・一番好きの人たちの押し寄せて溢れかえるイメージもあったからだ。
肝心の絵がまともに見られるとはとうてい思えない、という。
では、何故そんなリスクも顧みず、嫌いな「初日・一番目」を採択したのか?
それは、恐らくここに何度か訪問してくださっている方は、ご存知かと思われますが、姉妹ブログの”Low”でいつも絵画・写真・音楽の僅かばかりのご紹介をしているのですが、そこで何を思ったのか、”バルティス好きです。”ここまでは良いが、”初日に行ってきます”などとぬけぬけと書いてしまったからだ。
言ったからには、行くしかない。
そういうことです。
その後また行くところがあったりで、、、タイトな一日でした。
それで、いつ本題に入るのか?
ピカソ曰く、「20世紀最後の巨匠」がきれいなドイツ語で暗唱していた詩を(多分リルケの関係か)本日の図録より引用します。
雨がざあざあ降ってるときや
嵐が野原でびゅうびゅう吹いてるときは
お嬢ちゃんやお坊ちゃんは
ちゃんとお家のお部屋にいました
ところが、ロベルトは考えました。いいや!
お外はすごいにちがいない!
そしてロベルトは、野原の中を
傘を差してびちゃびちゃと歩き回りました
いつでも、完璧に暗唱できた、ということは、これは完全に身体化されているということだ。
思考や判断以前にバルティスの行動原理を決定付けている詩と言えるかも。
バルティスの絵とは、お外で夢中になってびちゃびちゃと歩き回ることの延長線上にあるのだろうか?
延長上にあってもおかしくはない。敬虔なカトリック教徒であり生涯、静謐な光のなかで仕事をしてきた彼だが、絵筆を握るとそんな冒険と喜びが波打ってくるのだろうか?
後は、こちらをぜひご覧ください。

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参考記事
バルチュス ~Balthasar Michel Klossowski de Rola~
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