楊貴妃

1955年
日本、香港
溝口健二 監督
陶秦、川口松太郎、依田義賢、成沢昌茂 脚本
水谷浩 美術
早坂文雄 音楽
京マチ子、、、楊貴妃
森雅之、、、玄宗皇帝
山村聡、、、安禄山
小沢栄、、、楊国忠
山形勲、、、楊銛
南田洋子、、、紅桃
霧立のぼる、、、翠花
村田知英子、、、緑花
阿井美千子、、、紅花
進藤英太郎、、、高力士
石黒達也、、、李林甫
見明凡太郎、、、陳玄礼
杉村春子、、、延春郡主
京マチ子先生にはうってつけの役柄の楊貴妃。美女の代名詞でもある。ピッタリ。
貫禄の付く前の初々しさ。
はじめは下働きの小娘で登場だ。
悪い親戚に騙されて厨房に押し込まれて辛い仕事を強要されていて、まるでシンデレラである。
まさに『灰かぶり姫』であった。
そこで、ホントに小娘になっているのだから凄い。
演技力もレベルが違う。
そしてあれよあれよという間に(ホントに直ぐに)皇帝に見初められ楊貴妃として君臨している。
(ちょっと呆気にとられたが)。
悪い(品のない)親戚連中も高い地位を貰い宮廷でのさばっている。
(これが後に悲劇を呼ぶ)。
京マチ子の美しさは文句なしで、品格の高い楊貴妃に見事になっていたという他ないが、宮廷の舞を披露する以外は動きはとても大人しく地味であった。立場上そういうところだろうが。何か物足りない。「赤線地帯」のアクティブでアグレッシブなところを見ている為か上品に静々歩むだけではどうも、、、。
さらに中国の噺である。中国と言えば、広大さである。
スケール感がほとんどないところが厳しい。
全てスタジオ撮影であろう。
もう空間的に窮屈なのだ。狭くて暗くてせせこましいときた。
長いと思わせるロングショットも余り見られなかったと思う。
であれば、宮廷内のみのやりとりに徹した方が良かったのでは、、、。
煌びやかな内装で調度品も豪華な室内のみで、外の情勢を随時匂わせ緊迫感を持たせるように幾らでも出来るはず。
長安の街に皇帝と二人でお忍びで出ていき、祭りを楽しむところなど、盛り上がるどころか、ちょっと侘しくなってしまう。
(予算が足りないのか~と)。
ただし、非常に練られたショットで大変雄弁に格調高く場面をイマジネーティブに構成する部分は印象的だった。

一大歴史スペクタクルではなく、玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇に的を絞って描いていることは分かるので、猶更室内劇でもよかったような。
この時代の中国の音楽なのか、雅楽なのかちょっと分かりにくい音楽であったが、、、
その辺は調べられて作られたのだろうか、、、日本人の作曲家より向こうの人の作品の方がよりしっくりしたのでは。
玄宗と言えば唐の絶頂期を治めた皇帝として有名であるが、楊貴妃にかまけて政治を蔑ろにしてしまったとか、、、。
確かそんなものであったはず。
ここでは民衆の怒りを買い反乱が起きて、みたいな流れであったが、実際は楊貴妃を発見した安禄山と彼女の親族楊国忠との間の覇権争いが招いたもののようだが。どちらもより高い地位と実権を握りたい。
楊貴妃は元々、この連中がのし上がる為の一か八かで切られたカードに過ぎなかったのだ。
最初は結託して楊貴妃を仕立て上げたが、その後はどちらのお陰だということになる。あさましい。
だが美貌だけでなく楽器も弾けて人格も高い楊貴妃にすっかり皇帝も参ってしまう。
折角、善政を行っていたのに、、、道を誤る。
楊貴妃はその差し迫った事態に気づき、身を引こうとするが、その流れに呑み込まれる他ないところまで来てしまう。
最後の処刑のシーンは無駄のない精巧なショットの構成であった。
しかし処刑にまで辿る過程があっさりしすぎており、楊貴妃となったときと同様、さらっと描かれ過ぎてる。
テーマからしても二人の人間に関してはもっと尺を使ってこってり描く必要はあったはず。
溝口映画とみると猶更そう思える。
(田中絹代の波乱万丈というか虐められようからすると、、、)。
まあ、わたしとしては京マチ子先生が酷い目に遭わずに、最後に一思いに処刑の方が観易かった。
溝口映画としては薄口作品に思えるが、、、観て損は無い映画であることは間違いない。
わたしとしては、「雨月物語」と「祇園の姉妹」が圧倒的で、ついで「赤線地帯」、、、ではある、今のところは。
近いうちに「残菊物語」を観なければ、、、。

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