浮草

Floating Weeds
1959年
小津安二郎 監督
野田高梧、小津安二郎 脚本
中村鴈治郎、、、嵐駒十郎(旅芸人座長)
京マチ子、、、すみ子
川口浩、、、本間清(駒十郎とお芳の息子)
若尾文子、、、加代(すみ子の妹)
杉村春子、、、お芳(清の母)
野添ひとみ、、、あい子(小川軒の娘)
笠智衆、、、相生座の旦那
三井弘次、、、吉之助
田中春男、、、矢太蔵
旅の芸人一座の御話。
哀愁を絵に描いたような役者の面々に京マチ子と若尾文子という美女が何故か交じっている。
構図の取り方から間違いなく小津映画だが、、、。
「絵」は何処を切っても「絵画」のよう。本作はカラーであり、赤が特に印象的。
とは言え、、、この噺、キャストが違うためだけでもない。どうにも異質。

のっけから(役者は誰だったか)一本調子の「そうかのう」何連発したか、、、やはり小津映画だ。
ローアングル。構図に拘りまくり、会話する顔を真正面から捉えるところもお馴染み。
笠智衆と言えば加代に対して「ほうかのう。あの頃は南京豆みたいだったが」とか、女の子が南京豆である、いつも通り(笑。
しかし、ホンのチョイ役だった。
ここは笠智衆節の炸裂する物語ではない。
杉村春子もヘビーな役処で緊張感を支える。裏ヒロインとでも言いたいところ。
何というか全てを見通してどっしりと構えている凄さがある。
京マチ子先生は、ここでも艶やかで凛々しいが、貫禄があって皆から「ねーさん」と呼ばれていて、渋かった。
親方に嫉妬する役だ。
親方のこそこそ逢っている相手は息子であったが。その家族関係に嫉妬しているのか、、、。

わたしがこれまで観て来た小津監督のサラリーマン(家族)映画とは随分違うものであった。
とても哀愁が濃く、情愛もドロッとしていて、座長がバシバシ(女に対しても)手をあげる。
こんな暴力シーンは小津映画では観たことがない。
それにキスシーンも何度もある。実はこれにも驚いた。笠智衆の出番は、ないな、、、。原節子も無い。
荒々しい感情が随所でぶつかり合う。
しかし随所に粋な演出や展開があって上手いものだと感心したり、、、。
そう、その粋を体現しているのが、京マチ子と中村鴈治郎、それに杉村春子か。
特に京マチ子の浴衣の粋な着崩し?や所作は堂に入っており感心するばかり。
若尾文子はとても健気で一途な娘が似合っていたが、こういう感じのピチピチした娘も新鮮。
最初は悪戯心でたぶらかそうとしたのだが、お互いに本気になったというパタンであるが、これもこの監督としては新鮮(笑。

小津映画としては異色の内容に思えた。
わたしにとって、これまで笠智衆と原節子がそのまま小津映画であった為、当惑もしたが終盤まで来る頃にはドップリ浸かっており感動も覚えた。
駒十郎が清におじさんではなく父だと明かし、加代との仲も認めたうえで独り旅に出てゆくところも粋だが、、、。
最後の駅の待合室での侘しい親方とすみ子の出逢いから、希望を胸に秘めて二人でもう一旗あげようと列車に乗ってゆく流れが何とも心地よい。
また粋である。
やはり旅~放浪に出てゆく宿命~業を背負った人というのはいるものだ。
ノマドとして絶えず移動を続けなくてはいられない人。
浮草とは、彼らのような浮き草稼業のこと。父親として息子は根を生やした偉い人になってほしかったのだろうが。
自分は傍にはいてやれない。お芳はそのことをしっかり認識しており気丈に受け止めていた。
こうした人にとっては別れはつきものだが、やはり宿命的に寄り添うことになる人もいる。
すみ子と二人ならきっと何かを掴むだろう。

こういうドラマチックな重い小津映画があったのだ。
