汚れた顔の天使

Angels with Dirty Faces
1932年
アメリカ
マイケル・カーティス監督
ローランド・ブラウン原作
ジェームズ・キャグニー、、、ロッキー・サリバン
パット・オブライエン、、、ジェリー・コノリー
ハンフリー・ボガート、、、ジム・フレイザー
アン・シェリダン、、、ローリー・ファーガソン
ジョージ・バンクロフト、、、マック・キーファー
ビリー・ハロップ、、、ソーピー
ボビー・ジョーダン、、、スイング
レオ・ゴーシー、、、ビム
「君と私と神だけが知る勇気だ」。
全てがここに収斂される。
ここに賭ける~信じるのだ。

わたしにとっても「君と私と神だけが知る真理」への確信がなければとてもではないが、日々やってゆけない。
言うまでもなく、われわれが生きる世界~幻想界というのは、社会の法的・道徳的枠から大きく逸脱しており、ことばの枠からも外れている。一回性の生きた流れそのものである。
そのなかで微妙に揺らぐ外縁や襞の領域も、ときに法~言語で引き裂かれてゆく。
このありように対する本源的違和を常に感じて生きている。
生きるということがそうした事情なのだ。

さて、子供時代に劣悪な環境で育ち、盗みなどの悪さを働いていた親友同士がやがて片方はそのままギャングに、もう一方は牧師となっている。
この分かれ目は、警察に追われ逃げる際に、片方は捕まり感化院に送られ、もう一方は逃げおおせたところにある。
(それぞれ個人の個性~資質における問題もあるだろうが)。
お互いにそれでも親友であることには変わりない。
但し、職業が違うだけ、ではなく属する世界が異なるのだ。
片や自分の流儀でアウトローに生きる者と一方は法の世界に生きている。
互いに相手~個は尊重しているが、自らの属する幻想界(の正義)に準じる~殉じるのだ。
兎角、そうしたものであろう。

最後に「君と私と神だけが知る勇気」による二人の間の密約が果たされ、友情が究極の形で成就する。
こうしたジャンプ~飛躍がわたしにとっても鍵となってくることは分かる。
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