娘たち帰る

まさに行ったかと思ったら帰って来た。
わたしはほぼ独りで何の旅行・見学でも帰って来たが、親の迎えが必須なので、6時にふたりを迎えに行った。
そこから、たっぷりと体育館で到着式だかなんだかをやって、われわれ保護者は後ろで立って見ていることに。
かなりの3密を久しぶりに味わう。
何か気持ちが悪い。
噺が長いのは、校長という印象が強くある(お決まりだ)が、今回は実行委員会の児童の噺が長く、その分校長の話はとても簡潔であった。
それにしても、もう少し短くまとめて話す勉強をして欲しい。
普段の授業でも答を一言答える、だけでなく自分の考えを簡潔にまとめて話をする訓練の場を持ってほしいものだ。
とは言え、今回の旅で感想を述べよと謂われても、かわいそうな気はする。
短い。短すぎるのだ。
待っている側にとっても、短い。
あっという間に帰って来ているではないか。
帰る道すがら二人に色々聞いてみたが、次女はオタク友達がまた増えたと喜んでおり、これは一大勢力(圧力団体)に発展するのでは、という危惧はもったが、向こうの土地についての話題はほとんどなかった。
何処に行ったより、バスで同志とどんなことを喋ったか、が問題のようである。
それについてはかなりの勢いで話すのだが、われわれ親はほとんどついて行けない。
日光東照宮の話題に向けると、左甚五郎の作と謂われる眠り猫と「見ざる、聞かざる、言わざる」の3猿のレリーフは観たとのこと。
次女がほぼ眠り猫みたいな眠そうな顔して話してはくれた。
そりゃ、嫌でも見ることにはなるはず。長女もちゃんと見たらしい。
それだけでも見てくれば良いか、、、。
わたしも眠り猫は好きだ。自分の作品のモチーフに使ったこともある。
3猿については世界中にほぼ同様の意味で広まっている。
元は中国から日本へ伝わったものだが、世界に広まったのは日光東照宮の左甚五郎作のレリーフからのようだ。
有名どころでは、「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と言うガンジーの教えもここから来ているという。
お土産は食べ物ばかりで、お小遣いのほとんどをこれらのお菓子に使ったそうだ。
しかし自分たちで食べる目的で買ったらしい。
必ずわたしも味見はする。
そして、長女が何でも好きな男子が出来たとか、、、
にやにやしていたのが、何とも、、、奇妙な感覚であった。
これが今夜の一番の話題となる(爆。
(本人は多くは語らないが「見ざる、聞かざる、言わざる」と呑み込んだままには出来ないようだ。無論われわれもだ)。
何れにせよ外に意識が向かうことは、(自立性の獲得にとっても)好ましいことだが。
やはり生き物だなあ、と思う。
いや、育っているのだな、と感じる。
体育館で旅行担当の教員が、帰ってきたら逞しくなっていて、ちょっと大人になった感があるなどと、決まり文句を述べていたが、ホントにある種の距離感~他者性を覚えた。
今後の役に立つ旅行になったような気がする。

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