ロスト イン トランスレーション

ソフィア・コッポラ脚本・監督の作品。
2004年アカデミー脚本賞にも輝いている。
ビル・マーレイ、、、、ボブ・ハリス(サントリーウィスキー撮影のため来日)
スカーレット・ヨハンソン、、、、シャーロット(ジョンの新妻)
ジョバンニ・リビシ、、、、ジョン(カメラマン)
アンナ・ファリス、、、ケリー(映画女優、記者会見で来日)
確かに脚本賞は分かる。このスカスカの淡々とした荒涼感はとてもよい。
作品賞、監督賞、主演男優賞もノミネートされていたが、とってもおかしくないものだ。
以前”ヴァージン・スーサイズ”を見たがほぼ共感不能であった。それから見るとまったく違う監督作品に見える。
良い監督になったなと思えた。
ビル・マーレイも何とも言えない倦怠感があり良い味が出ていた。ロキシーミュージックの”モア・ザン・ジス”はわざと下手に歌っていたのかどうかが不明であったが、恐ろしく下手だったのが印象に残る。
「真珠の耳飾りの少女」で好演したスカーレット・ヨハンソンは4つくらい上の女性の役であるが、ここでも感受性豊かな内省的で知的な演技をみせていた。彼女ももらっても良いと思う。
ディスコミュニケーションとまでは言わないが、どうにも埋めがたいズレはコミュニケーションにおいてはどこにおいてもある。そこからくる孤独は誰においても生まれる。
この映画のテーマは普遍的である。
誰にも翻訳できない言葉を誰もがもってしまっている。
この映画に描かれたような男女はいくらでもいる。
東京のありふれた光景。
どこにでもいる人びと。
別に舞台が東京である必要もない。
どこでもよい。京都にも女性の方は行っているが。
監督によってかなり異様な日本像を描く人がいるが(未だに日本だか中国だか分からないメデタイものもある)、彼女の描く日本は、ニュートラルで磨かれた感性による過剰な思い込みのないものだ。
その分主人公たちの儚さと浮遊感が際立つ。
(間違っても旅先で自由を満喫するとかいうものとはまったく異質のものだ。)
東京という異文化の中でその寄る辺なさ、その漂流する様がくっきり浮かび上がってくる。
同じ国の年配の男と大学出たての若妻が波に浮かんでいれば、藁にすがる気持ちも分かる。
そして感情も少し通じ合えば、淡い恋も生じるであろう。
そう、その色調で統一された映像である。
微妙で繊細な流れに乗ってほとんど何もない時間が過ぎてゆく。
2人の主人公たちも、ここで別れたらもう一生会うこともない関係性だ。
お互いに空虚を共有している。ではどこでなら濃密な関係性がしっかり築けるのか?
結局そんなところはないという確信だけはこの滞在を通して持てるかも知れない。
映像はほとんど脚色を感じない、しかし低予算のチープさはない、
一言で言えば、ニュートラルな美が感じられる映画であった。
通常、人は生きているうちに必ず偏奇してしまう。
ニュートラルな眼差しは相当に概念を相対化した果てでないと身につかない。
このあとの作品は観ていないが、ぜひ観たいと思わせる監督である。
最後にわたしが一番印象に残ったところは、京都の寺で神前結婚式をあげる新郎・新婦の姿を柱の影で頬を明るくして見つめるシャーロットことスカーレットの表情だ。
スカーレット・ヨハンソンという人は、静謐で儚く繊細な演技が光る女優だとよく判った。
フェルメールの映画でもそれはつくづく感じたものだ。
彼女の出演作もまだ2つしか観てない。
他でどんな演技をしているのか興味が増した。
- 関連記事
-
- 湖のほとりで ~
- ダイアルM
- ロスト イン トランスレーション
- マイノリティ・リポート
- 殯(もがり)の森体験