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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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転校生 -さよなら あなた-

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1982年


大林宣彦 監督
山中恒『おれがあいつであいつがおれで』原作
山下康介、學草太郎 音楽

蓮佛美沙子、、、斉藤一美
森田直幸、、、斉藤一夫
清水美砂、、、斉藤直子
厚木拓郎、、、山本弘
寺島咲、、、吉野アケミ
石田ひかり、、、大野光子
田口トモロヲ、、、斉藤孝造
窪塚俊介、、、斉藤孝一
関戸優希、、、金子正枝
高木古都、、、佐久井由香
犬塚弘、、、斉藤孝之助
古手川祐子、、、斉藤千恵
長門裕之、、、今田正助


わたしは、元の作品は観ていない。これは監督のセルフリメイクであり、尾道から長野(信州)に舞台は移っている。
男女の入れ替わりは、未だに「君の名は。」の印象が強い。
それに加え、アイデンティティにおける身体性の問題にもスポットが当てられ、、、
他者について考えれば死も必然的に俎板に乗せられることになろう。
荒唐無稽でコミカルな場面は多いが展開が早くその速度感で惹き込まれてゆく。

入れ替わりの居心地悪さを生理的に感じさせる意味でも斜めアングルを使っているのか。
違う身体に成ってしまうことの眩暈。
これは、異和の中でその相手の生活環境から身体そのものを全て感じ、知ることとなる。
これほどの受容体験は、まずない。
ぎこちなく2人が互いに入れ替わってゆくというだけでは済まない、真の意味のひとつに成る体験とも謂えるか。
実際、これほどお互いに理解が深まることはないのでは。
(こんな関係性はあり得ないとは言え、興味深い)。

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女性の身体に男のこころ側の個体に死が宿る。他のからだに芽生えた病によって自分が死んでゆくとは。
死は不可避とは言え、余りに若く早い訪れである。しかも相手の身体の滅びにより自分という意識も無くなるということ。
この死への恐怖と不安こそ、他者の中での自分~アイデンティティの消滅の危機を際立たせる。
実際、文字通りの死が無くても、アイデンティティの喪失の不安と眩暈が深まるはず。

歌が自然に生まれてそれを弾き語りするが、その歌のスコアは彼女の身体~持ち前の想像癖から生じ、男のテクニックがピアノで奏でる~具現化する。
ピアノが弾ける男が彼女の身体で弾いていたのが、ピアノの指使いの身体感覚を彼女が覚え~取り込んでしまう。
彼女も指が同様に動くのだ。男のこころに関係なく。
身体というものが示唆されている。
ここに及んでアイデンティティとは何であるか。

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蓮佛美沙子という女優、この時の年齢も大きいはずだが、アンドロギュヌス(両性具有)的な魅力で、荒唐無稽な事態を極めて自然な流れの内に見せてくれた。
女優選びが見事に成功している。
下着だけで歩き回ったりヌードもあるが、男がこころとなっていてガサツな分、エロティシズムはない。
この辺、スポーツものにも近い感覚だ。
しかし女性の自分の身体に戻った時の美しさはその分、際立っていた。
身体の在り様とは、こうしたもの、、、。

死と生が鮮烈になってゆく。

「さびしらの水場」でふたりして美味しい水を飲もうとしてその池に落ちて入れ替わる。
この特異な儀式を経ることで入れ替わったということは、当然同じことをすれば元に戻るという気はする。
それをなかなかせず、、元に戻ることより、相手になってしまったことで、上手くその環境でらしくやり過ごすことに力を入れてゆく。
これは彼らがそこに何らかの価値を見出してもいるからだ。無意識にせよ。
そして「自分は自分として死ぬ」というこころの準備が出来たところで、自然な流れでまた水場で落っこちる。

こういう儀式~装置があれば、日常がよりビビットに急展開する例としてとても面白いものであった。
ちょっと荒唐無稽で懐かしく秘密めいた近場にそんな契機があるのかも知れない。

また息子と母との気色悪い関係性も垣間見られたが、「さびしんぼう」ほど気にはならなかった。

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主演女優が良かった。







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