アスファルト

Asphalte
2015年
フランス
サミュエル・ベンシェトリ監督・脚本
ガボル・ラソフ脚本
ラファエル音楽
イザベル・ユペール、、、ジャンヌ・メイヤー(一線を退いた女優)
ジュール・ベンシェトリ、、、シャルリ(学生)
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、、、看護師(アパートの近くの病院の夜勤)
ギュスタヴ・ケルヴェン、、、スタンコヴィッチ(初老の男)
タサディット・マンディ、、、マダム・ハミダ(アルジェリア系移民婦人)
マイケル・ピット、、、ジョン・マッケンジー(NASAの宇宙飛行士)
*看護師以外は、皆同じパリ郊外の古いシンプルなアパートに住む。
最近観た映画では、「5時から7時までのクレオ」と並んで良かった。
素敵な「映画」を観たという感覚に浸れる。

とても心地よい時間を過ごした。
それぞれ偶然出会った3組、6人の孤独な人物によるドラマが個別に並行して描かれてゆくが、最後に宇宙飛行士を迎えに来たヘリが彼らを一瞬、同一の時空に繫ぎ止める。
いや、ヘリの齎した場にあって、彼らの意識がとてもエモーショナルに高揚するのだ。
これも一種の同時性であろう(ユング・パウリ謂うところの)。
同じアパートに住んでいても、それぞれが何をやっていようと全く関りはない。
これは通常、当然である。近くで鳴る異音に気味悪がるところで繋がっている部分はあるが。
だが、そのなかで、一組はドアが近い為に知り合いになる学生と女優。
もう一組は、移民の夫人とアパート屋上に司令船が不時着したNASAパイロットとの親子の再会みたいな関係。
アパート二階に住むケチな男と病院の夜勤看護婦の夜の密かな出逢い。
最後まで、全く別に流れてゆく噺である。
われわれは常に宇宙線に貫かれている。
つい先ほど自分の身体を通過したニュートリノによって何かが変わったかも知れない。
これまで何の作用も及ぼさないとされてきたものが、今後新たな働きを発見されないとは限らない。
まだダークマターについても分からないことばかりである。

何かが一気に晴れ渡る時、それまでの文脈に新たな(異質のメタ)文脈が挿入されたり、異なる時間系に乗り移ったりすることがあるはず。
そうでなければ、この気分の転調をどう受け取ったらよいか分からないこともある。
時折、わたしはそう感じることがあるのだ。
そしてそれが心地よい為に、意識~分析しようなどという気持ちが失せてしまう。
噴水や木々に囲まれた涼やかな風の吹き抜ける公園を散策して気持ち良いというのとは全く異なる状況である。
ふと自分が違う自分になっていた、そんな説明はつかぬが恩寵のような在り様なのだ。
喪失感ではなく飛躍~ジャンプである。と謂うよりドライブか。コズミックドライブとでも言ってみたいが、、、(これはすでに別の意味で使われている概念であった)。

そういう時は、決まって身が軽やかになっている。
そういうものなのだ。自分の連続性~アイデンティティに囚われることはない。
ふと乗っかれば、心地よい。至高感覚に浸れたり、、、。
このブーツストラップの為に、この3つのささやかなストーリーが淡々と自然に流れていったのだ。
とてもセンスの良い映画であった。センスの良さはセリフに如実に表れていた。とても言葉が少なく瑞々しい。
恐らく監督のn-1の感性が優れているのだと思われる。
「アスファルト」はこのセンスの良い無機質感そのものか。
邦画にもこういった構造を持った映画があったように思うのだが、、、どうだったか、、、。
ただし、このセンスで持ってゆくというのは、無理っぽい。
極めて上質なコメディであった。やはりフランスだなあ、、、イザベル・ユペールのせいか。
キャスト皆良かったが、ギュスタヴ・ケルヴェンの演技は実に渋かった、、、。



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