アンセイン ~狂気の真実~

Unsane
2018年
アメリカ
スティーヴン・ソダーバーグ監督
クレア・フォイ 、、、 ソーヤー・ヴァレンティーニ
ジョシュア・レナード 、、、デヴィッド・ストライン
ジェイ・ファロー 、、、ネイト・ホフマン(施設に潜入した黒人記者)
ジュノー・テンプル 、、、ヴァイオレット(施設の患者)
エイミー・マランス 、、、アシュレイ・ブライターハウス(加藤有生子)
エイミー・アーヴィング 、、、アンジェラ・ヴァレンティーニ(ソーヤーの母)
”insane”ではなく”Unsane”だそうな、、、。
「リトルバード 164マイルの恋」のジュノー・テンプルがかなりイタイ患者で出ている。
「ファースト・マン」でニールの妻ジャネット・アームストロングで出ていたクレア・フォイ が深いトラウマを引きずるヒロインである。
「 イフ・アイ・ステイ 愛が還る場所」でクロエ・グレース・モレッツのお父さんで音楽教師役のジョシュア・レナードが恐ろしく病んだ怖いサイコ叔父さんを演じる。

ストーカー行為を逃れ母には適当な理由を告げて引っ越しをする、ということはアメリカに限らずかなりある事だろう。
バリバリのキャリアウーマンのソーヤーにとって、かつてのストーカー行為が酷く響きトラウマが残り、日常生活を続けるにも支障があった為、カウンセリングを受けに行く。
時間的にも空間的にも間をおいていても自分に向き合い、それが単なる事故のような外的原因に過ぎないハプニングであったのか、それを引き起こす内在的な要因を自らの内にもっていた為にその事態を引き寄せてしまったのか、内省して分析し決着は付けておくべきである。
母との関係性を見ると、ソーヤーは幼少期の家庭環境にも問題を抱えており、それが成人後の人間関係や特に異性関係に強く投影されていたと窺える。家庭で被った関係性(愛着)の障害がそのまま形を変えて反復されたのではないか。
成人した後でストーカーで受けた被害があれだけ内面化され~固着し、あらゆる局面において過敏に反応してしまうのは、相当に根深い幼少期~少女期に受けた傷が無意識レベルに生々しく疼いているからであるはず。
その時期、本人を尊重した伸び伸びとした育て方をされ、環界に対し肯定的な生の安定した基盤が形成されていたら、成人して多少の困難に出逢っても、これ程の外傷経験を受けることなくスッキリ解決し回復してしまうものだ。
ましてや反復したり、フラッシュバックしたり、怒りに囚われてしまうようなことはないはず。
母は娘の自立を疎外し自らが彼女に依存する為にコントロールしたがる過保護の雰囲気がしっかり出ていた。これは演出(脚本)上はっきり意図して表現されている。であるからソーヤーは、母に適当な理由を言って遠くに独り離れていたのだ。
(その後、カウンセリング施設に監禁され警察も半ばグルでどうにもならなくなり、母に泣きつく羽目となったが、この時の様子では共依存関係が窺える。その関係を断ち切りたいが為に、遠くに離れたのだろうが、再び母に頼るとこちらでも危うく泥沼化しそうであった)。

しかしその線で行くと、管理者はもとよりほとんどの施設の職員など、患者の保険金目当てで一定期間拘束している状況を良しとして患者を記号的に利用してるだけであり、薬なども何を与えているか分かったものではない(ほとんど興奮を抑える鎮静剤の類であろう)。ともかく患者にとって極めて危ない施設であることは間違いない。
ソーヤーはここに相談に来てしまったばかりに、強制的に入院させられ、興奮して暴力を振るい拘束までされてしまう。
しかもかつてのストーカーの犯人がここの職員として入り込んでいたのを知る。
弁護士の指導の下、ずっと継続的に対応策を講じて来たのに、デヴィッドはソーヤー一人をずっと監視し続けて来たのだった。
怒りと驚きでソーヤーの気持ち~意識は大きく乱れるのはわかる。
将来を嘱望されている大事な仕事にも戻れず、踏んだり蹴ったりの状況であるが、ネイトという黒人患者が彼女の良き理解者となる。取り上げられて連絡のつけようのない状況で、彼が隠し持っていた携帯が役に立つ。
実は彼はこの施設を怪しんで乗り込んだジャーナリストであった。
だが、ソーヤーと密かにこの施設を出た後の相談をしているところをデヴィッドに見られたネイトは、その妬みから地下室に捕らえられ薬を打たれて殺されてしまう。
ネイトの携帯から母に施設の状況を打ち明けたことで、実際に母が強い抗議に来たことを受け、デヴィッドはメンテナンスに来た作業員に化けて母のアンジェラを絞殺してしまう。
ヴァイオレットもソーヤーとデヴィッドという強烈な個性の間のやり取りの内に挟まれとばっちりで殺されてしまう。
もう邪魔者もそうでなくとも行きがかり上見境なく殺してゆく。
デヴィッドには、もう歯止めが無い。

ソーヤーと二人で山小屋で自給自足で幸せに暮らすと言う、全く一方的な妄想を圧しつけてくる。
君の事なら何でも知っている。君の事をこんなにも愛している。君無しでは生きては行けない、、、。
明らかに彼もまた愛着障害と発達障害が見て取れる。それが成育過程において悪化の一途を辿ったか。
生理的に全く受け付けられない相手がこちらの気持ちを無視してターミネーターみたいに迫り続けてくる地獄。
ソーヤーも、一方的な思い込みで彼女を自由に操ろうとする暴力に幼少から晒されて生きて来たのだ。
その浸み込んだ体質がこのような狂気を呼び込むのか。
単に魅力的で綺麗なだけで誰もがこんな理不尽な欲求に悩むものではないことは確かだ。
何とか命からがらデヴィッドを始末して逃げることに成功したソーヤーであったが、ターミネーター・デヴィッドの影は彼女の内面にはまだ色濃く残存していた。いささかも色褪せることなく。
その姿は、彼女を刺激するほんの些細な話声で深層からふいに立ち上がってくるのだった。
彼女は未だに怒りと恐れと混乱に突き動かされている。仕事で成功しようが安寧の日々からは程遠い。
デヴィッドは死んでこの世にはいないことは頭では分かっていても、彼女のこころの深層には何ら変化はないのだ。

毒親が死んでも子供に不変の毒を送り続けてくるように、心的構造を変革しないことには、何も変わることはない。
死者はいつまでもこころのうちに居続けてしまう。
隙を観ては主体化~実体化し知らずの内に操ろうとする。これを昔の人は悪霊と呼んだはず。
相手が生きていようが死んでいようが関係なく、相手を完全抹消しなければ、真の解放は訪れない。
自らの生を生きることは出来ない。
こちらに憑依しかかる全てのモノたちを完膚なきまでに殲滅すること。
ソーヤー・ヴァレンティーニの置かれた状況は、何も変わっていない。
彼女自身が変わることが絶対条件であるが、とても困難であることが分かる。
自分自身に慄く彼女の姿を追いエンディングとなる、、、
