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GOMA28

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別離

Nader and Simin, A Separation001

جدایی نادر از سیمین‎、英題:Nader and Simin, A Separation

2011年
イラン

アスガル・ファルハーディー監督、脚本、製作

レイラ・ハタミ、、、シミン(ナデルの妻)
ペイマン・モアディ、、、ナデル(シミンの夫)
シャハブ・ホセイニ、、、ホッジャト(ラジエーの夫、失業中)
サレー・バヤト、、、ラジエー(家政婦)
サリナ・ファルハディ、、、テルメー(シミンとナデルの娘)
ババク・カリミ、、、判事
メリッラ・ザレイ、、、ギャーライ先生
キミア・ホセイニ、、、ソマイェ(ホッジャトとラジエーの娘)


日常の些細な出来事から重く苦しく泥沼を這うような内容に展開して行くのだが、洗練されているためスッキリと見られる。
重厚だが、やはりエキゾチックな雰囲気の醸す影響か独特な感触を覚えた。
この監督の映画は「セールスマン」を観ている。
この作品も静謐な日常空間の揺らぎの内に、ふと生じる狂気のめくるめく拡張を絶妙に描いていた。

イランの監督と謂えば、真っ先に浮かぶのはアッバス・キアロスタミか。
過去に、「桜桃の味」、「オリーブの林をぬけて」、「そして人生はつづく」、「友だちのうちはどこ?」、「風が吹くまま」等を観て来た。彼の映画が、素人を使った地方を舞台にしたドキュメンタリータッチの演出を抑えたものであるに対し、このアスガル・ファルハーディー監督の作風は達者な俳優で固め、脚本・演出共に練りに練ったものであることが分かる。舞台も都会の日常生活であり、ヨーロッパ文化とさして変わらない。主人公たちも良い暮らし向きの人々である。車からして違う。垢ぬけていて雰囲気が異なる。

この監督の「彼女が消えた浜辺」という映画が以前から気になっており、機会があれば観てみたい。

さてこの「別離」、離婚、介護、失業、信仰、教育、流産と何処にでも見受けられるテーマを織り込み普通の生活が不可避的に引き裂かれてしまう流れがものの見事に描かれる。誰もがバラバラになってゆく。犠牲を伴い、、、。
リアルで救いが無いところが、いつまでも尾を引く(「セールスマン」もまさにそうであった)。

Nader and Simin, A Separation002

母親が離婚を迫るところから始まる。
海外に住む事が娘の教育にとっても好ましいという理由で話し合いで決まっていたことらしいが、夫はアルツハイマーの父親の介護が深刻な問題となり、海外に父を連れて行けない為、残ることを主張する。
それで母は出て行き、夫は仕事に出ている間の父の介護の為、ヘルパーを雇う。
如何にもありそうな噺であるが、登場人物それぞれが抱え込む事情が関係し問題が生じそれが増幅して行く。

その過程で何よりもテルメーが不憫で同情してしまう。
親や大人たちのどうにもならない都合でいいように振り回され、ズタズタである。
しかし自分をしっかり持ち物事を健気に真直ぐ捉えようとしている。
勉強が大好きな所も羨ましい。うちの娘たちもこれくらい勉強好きなら言うことないが、、、コロナ堕落していて無残である。
中一のテルメー女史、実に利口そうな顔つきで、周りのゴタゴタに対し中立的な立ち位置で頑張るがその分、苦労も大きい。
特に父親を庇う為に法廷で嘘の証言をしてしまい、その後さめざめと泣いていたシーンには怒りさえ覚える。
大人誰もがお互いに意地を張り合い、自分のプライドに拘り続け、自分の観念に縛られ、誰もが運命に流され、犠牲となるのは子供である。
しかし、こういうことは、勿論日本の何処にでも見られる普遍的な風景だ。

Nader and Simin, A Separation003

ここでひとつ、独特に感じるのは宗教である。
夫の失業で止む無く家政婦の仕事を引き受けたラジエーであるが、アルツハイマーの老人が粗相をした時にその着替えを支援するかどうかいちいち聖職者に電話して確認をとるところには、ビックリした。
その信仰心がこんなかたちで決定的な役割を果たす映画は、あまり観たことがない。
もし、この噺から信仰が抜けていたら、もっとあっさり片付いているはず。
最終的に(お金で)丸く収まっていただろう。
コーランの上に手を置いて誓えるか?と言われたら、もう嘘はつけない。フリーズする。
そこから、もう真っ逆さまである。恐ろしい。
かくも内面深く浸食している絶対的な装置なのだ。
「このお金を受け取ったら、きっとソマイェに禍が降りかかるわ」とラジエーは心底怯えていた。
(ここがイスラム教徒ではない日本人であるわたしには全く共感し得ない部分である)。

Nader and Simin, A Separation004

そしてストーリーの終盤に序盤に描いたちょっと冷や冷やするシーンを伏線として決定的な収斂に向け回収している。
これには、瞠目した。(上手い脚本~演出だ)。
そうだったのか!である。
この物語の重要なキーパーソンがアルツハイマーの要介護のナデルの父であったことも分かる。
ラジエーは、この老人を庇って身重の身でありながら身代わりに交通事故に遭ってしまい流産に繋がったのだ。だが自分がこのアルツハイマーの老人から目を離した為に起きた結果でもある。
とは言え、このようなミスは誰であってもしてしまう可能性はあるし運悪く事故を引き起こしてしまうこともあろう。

Nader and Simin, A Separation005

このドラマはどこにでも見られるものであり、登場人物は本当に普通の人であり、自分の身を守ろうとして争いもするが基本善意の人たちである。
自分の置かれた立場、自分のアイデンティティに拘り過ぎるところはあるにせよ、必然的にこのような関係性の内に絡めとられてゆくのだ。人は自由に見えて実はそうではない。意地を張ってそうしているように見えてもどちらにせよその方向に転がってゆくしかない。
重力に逆らえないが如くに。

しかしこの流れの総体ははっきり、間違っている。


気まずいままシミン、ナデルは、廊下で離れて待ち続け、娘のテルメーは離婚した親のどちらに付くかを判事の前で答えねばならない。全く認める事の出来ない現実の選択を突き付けられる。
娘は涙を流しながら、「もう決めています」と語りながらも、それに対しいつまでも答えることが出来ないで立ち尽くす。

そのままエンディング、、、。


これほどの強度を持つエンディングは他に知らない。
凄まじい傑作であった。
キャストの力量も素晴らしい。









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