イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ 断片補遺

「売店のある美術館の出口」とは何ともニヒリスティックだ。
美術は常に商業主義と結びついてきた。
ただ個々におけるその結びつき方は色々ある。
昨日観た”イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ”で印象的であったのは、MBWことティエリーと大規模メディア展開した宣伝を見てやってきた民衆との共犯関係だ。その一点についてだけ、簡単な感想を述べておきたい。
この洗脳しようとする側と自ら進んで洗脳されようとやって来る人々との、鍋と蓋みたいな関係。
いみじくも「一連の現象は人類学的、社会学的に検証の価値はある」とシェパード・フェアリーが謂うように、この事例を少なくとも文化論として展開してもよいはず。
このバンクシーの対象化したドキュメンタリー映画自体が、何より良く出来たサンプルでもある。
また、こういうやり方もあるのだ、というMBW擁護論もあろう。
実際、彼の作品は売れ続けているらしい。
単なる初期洗脳でそのまま需要が続くものだろうか。
勿論、問題提起の形でこの映画を発表したバンクシーが権威の立場からMBWを鋭く批判すれば事態は変わる可能性も高いであろうが、彼は直接的に影響力を行使することはしないだろう。ただ、このような形で世界に託したものだ。
(当のMBWがバンクシーを大尊敬している捻じれ現象もある)。
バンクシーの作品が、これまでのポップアート画家の作品と同等な価値を認められるのは良く分かる。
彼の作品は寧ろそれ以上の強度を誇る。
所謂制作をしなくてもコンセプト次第で、アートはサインした便器をひっくり返して展示会に出しても成り立つ。
何れもアート~作品(場合によっては制作行為)そのものが目的であり、全身全霊の思考の産物であることは変わりない。
しかしそうではない見かけ上の「アート」で人を惹き付け続けることが可能か。
このMBWにとっては、アート自体は全くどうでもよい手段に過ぎないのだ。あれだけストリートアーティストを撮り続けて来たのに、彼らの仕事の一体何に惹かれていたのか。
彼にとっては、人を惹き付けることそのことがまさに目的である。
自らがイコン化し、ブランディングを高めてゆく。
サインされたその物が差別化され選択意思決定の単純化・固定化のレールが敷かれればよい。
彼にとっての勝負はやはり何より、最初の伸るか反るかの大規模な展示ショーにかかっていた。
ここで失敗していれば、別に世の中何事もなかったように明日を迎えたものだ。
バンクシーとシェパード・フェアリーという権威の影響力を利用し巧みな宣伝をかけて大勢の集客に成功したことで、この流れが生まれてしまった。新しい権威に縋りたい人々の要求を吸収する装置としてMBWは作動を始めたのだった。
要所要所でマドンナみたいなアーティストがアルバムジャケットなどを依頼することで、その流れは当面維持されてゆくのではないか。
中断
噺は全く変わる。
先日ウェブ注文した”GIRLFRIEND”のファーストアルバムが届き、聴いてみた。
YouTubeのステージ録音ではオリジナル曲の印象はイマイチであったが、このスタジオ版はかなり良かった。
この若いメンバーでの最初の録音としては相当な水準だと思われる。
もうセカンドも出ているし、そちらも注文したい。
彼女らは必ず日本最強のロックバンドになると確信した。

セカンドアルバム”HOUSE [CD+DVD]”
- 関連記事
-
- In Time
- Walk on the Wild Side
- イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ 断片補遺
- インターセクション
- 形を作る