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Flight of the Navigator
1986年
アメリカ
ランダル・クレイザー監督
マイケル・バートン、マット・マクマヌス脚本
マーク・H・ベイカー原案
ジョーイ・クレイマー、、、デイヴィッド
ヴェロニカ・カートライト、、、ヘレン
サラ・ジェシカ・パーカー、、、キャロリン
クリフ・デ・ヤング、、、ビル
デイヴィッド少年は弟を迎えに夜森の中に入って行った時に、何かを見つけて足を滑らせ、気を失う。
目を覚まし急いで家に戻るが、そこには他人が住んでいて、周りの世界はすでに8年経っていたことを知る。
自分の家族は別の家に引っ越しており、自分より遥かに年上の体も大きい弟がいることに驚く。
勿論、家族はその前に充分驚いているが、取り敢えず兄が帰って来たことを戸惑いながらもとても喜ぶ。
これを知ってほぼ同時期に捕らえたUFOとの関連でNASAも色めき立つ。
直ぐに少年を念入りに調べるために、NASAの研究室に幽閉する。
脳波を調べると、UFOとの関係が色濃く出てきて、かなり長期に渡る検査・検証が必要と分かる。
これを知った少年は、何処からか聞こえてくる声に従い、研究所からロボットに隠れて逃げ出す。
呼ぶ声は勿論UFOからのものであった。

このUFOは、宇宙船ではなく、星間移動体であり高度なAIのマシンであった。
とても綺麗で洗練された形体で、飛行時にはまた形を変えたりする(どうやら自在に形が変えられるような)。
デイヴィッド少年はその内部に招待され、好き勝手に操縦までさせてもらい大いに楽しんだ。
何処にも繫ぎ目や構造体としての特徴を示さない物体であったが、少年を招くときにはヌルっと下に階段が現れる。
この仕掛けは可愛らししく気に入った。
何かに使えそうな階段である(そろそろ実現可能な)。
マシンの中は操縦室的な形体にもなる。様々な形体~機能を魅せることが出来そう。
まさにソフトマシーンである。
そこで少年は大はしゃぎ。
確かに誰でも楽しくなるはず。
こういう「ごっこ」をわれわれはよくやったものだ(一人遊びでもやっていた)。

「ごっこ」では、いつも荒唐無稽なテーマやトラブルや敵やイベントが設定される。
ここでは、君らは脳の10%しか使わないからということで、少年に未知の星間地図を記憶させてみたのは良いが、自分(UFO)自身が地球の送電線に引っかかったトラブルによりそのデータを失ってしまった。それで自分の星に帰れないからさっき君に移した記憶データをこっちにコピーさせてよということになる。うん痛くなければいいよ、ということで、コピーしたら余計な情報までコピーしてしまいそのAIは冗談好きのチャラいデイヴィッドの身近な人間とそっくりな「人格」も持ってしまう。
これもちょっとまわりくどいが荒唐無稽な流れである。
それでかなりの尺をそのUFO内で漫才じみたやり取りをして過ごすというもの。
それほど笑えないジョークも多く、さして面白くはない。
とは言え、もうほとんど親しい友達になってしまっている。
これにより、言語構造の異なる別の認識~知の体系を持つ知的存在とのコミュニケーションの難しさの表現の問題をすっ飛ばせることとなった。上手いと言えばそうだが、これではあんまりだ。他者の感覚が微塵も無くなり、平板でチープな感じに落ち着く。
確かに、こういうUFOに乗ってそこらじゅうを飛び回ったら爽快だろうなと、子供なら思うだろうか。

少年期への郷愁に浸れる映画かも知れないが、、、。
また、時間を跨ぐ場面であるが、人はやはり時間を空間化したい衝動~欲望に常に駆られていることを確認する。
映画ではしょっちゅうテーマになってきた。
4光年先の惑星に行き、帰って来たことで、自分は変わらないが、周囲は8年経っていた、というのは良しとして、また地球上で8年前に帰るというのは、あまり面白みはない。
わたしとしては、弟より若い兄貴がいても良い気はするが、、、。
本人にとっては困るか。そう言えば同じ歳の憧れの彼女がいたっけ。
それであんなにしゃにむに8年前に戻りたかったのか。
若い(幼い)兄貴を無条件で迎えた(8年前に長男を失い多くの苦難を重ねてきた)家族の世界はどうなるのか。
兎も角、デイヴィッドは再度、UFOに乗り込み、8年前に無事に戻ると家族に出逢い、彼ら3人に対する愛を告げる。
めでたしめでたし、なのだろうが、どうにもチープな印象は残った。

娘たちと一緒に観たが、「ドラえもん」の方が面白いとのこと。
ドラえもんと比較可能な映画に思えるが、説得力ではドラえもんに軍配が上がる。

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