ディス/コネクト

Disconnect
2012年
アメリカ
ヘンリー=アレックス・ルビン監督
アンドリュー・スターン脚本
ジェイソン・ベイトマン、、、リッチ・ボイド(ベンの父、ニーナの報道局の顧問弁護士)
ホープ・デイヴィス、、、リディア・ボイド(ベンの母)
フランク・グリロ、、、マイク・ディクソン(ジェイソンの父、サイバー犯罪の探偵)
ミカエル・ニクヴィスト、、、シューマッカー(シンディのチャットの相手)
ポーラ・パットン、、、シンディ・ハル(子供を亡くした主婦)
アンドレア・ライズブロー、、、ニーナ・ダナン(TVリポーター、カイルを取材)
アレキサンダー・スカルスガルド、、、デレック・ハル(シンディの夫、リッチの部下)
マックス・シエリオット、、、カイル(ポルノサイトで働く18歳)
コリン・フォード、、、ジェイソン・ディクソン(ベンの同級生、ジェシカと名乗りベンを陥れる)
ジョナ・ボボ、、、ベン・ボイド(音楽好きの高校生)
ヘイリー・ラム、、、アビー・ボイド(ベンの姉)
見ながら「バベル」を連想していた。バベルほどのスケールはないが、ネット上のコミュニケーションにおけるグロテスクで残忍な局面が、3方向から切り取られている。
それぞれが、全く別の空間に生じたことに見えて、身体的に近い重なるような関係にもあった。
これは珍しいことでも何でもない。
日常空間がディスコミュニケーションに常態化していて、多くがSNSでも互いに言いたいことを垂れ流しつつ自閉している。
そんな場所でも、自分からうんと遠い世界の人が、自分のすぐ近くにいて思わぬ邂逅を果たすこともあるかも知れない。
だが、ほとんどそこからは豊かな関係は生れない。
身体性が抜け落ちていることは、やはり大きなことだろう。
利用し搾取するか、利用され搾取されるかの関係がほとんど。
まず日常の具体的な生活から人と人との全人的な関係が希薄化し、極めて部分的な繋がりのみの社会に変質して行く。
その空間に張り巡らされたWWWがさらにその傾向を加速させた。
wwwの見かけのコンテンツの膨大さと心地よさ、その入り込みやすさに、ついこころまで許してしまう。
(いやここにこころを許す場所を幻想するのだ)。
相手が誰か、何者か、に対する想像力は働かない。元々他者に興味などなかったのだから。
自分の良いように相手を描く。多様に見えても何れも自分の鏡像。
そして日常生活の何処でも見せたことのない心の内奥や秘密まで相手~その場に晒してしまう。
相手という他者ではなく、飽くまでも自分に都合の良い幻想のパーソナリティに対してである。
実生活で疎外度の高い者や虐待を受けている者、喪失感に悩むものほど、すんなり乗ってしまう。
それは相手にとって暇つぶしのゲームの駒であり、スタートの合図でもある。
標的~駒が記号である限り、同情や共感は生じない。
ゲームは進めば進むほど不可避的にエスカレートする。
その駒が、首つり自殺を図ったと知って、警察から逃れることに策を弄す。
チャット相手に個人情報を抜き取られ、口座が空になるが、その相手の端末も何者かに乗っ取られ遠隔操作されたものであった。
それに気づく頃には、あらゆるノードの痕跡は消されている。
www上で検索できるものはすべて、自己実現のためのネタでもある。
自分の出世のために利用できる弱者を探し、それをネタにしてのし上がる。
だが、利用があからさまでは世間体の映りからしてまずい。
救いの手を差し伸べてはみるが、相手を丸ごと受け容れるつもりなど端からない。
途中で梯子を外して逃げる。生身の現実に深入りは禁物だ。
もうすでにそこは、ヒトの棲む場所ではない。
われわれの住処はネット上である。
だから、アビーが弟のベンがいつまで看護していても意識が戻らないと3人の友達相手に悲痛な気持ちを吐露している傍で、スマホにお目当ての彼氏からの誘いが来たけどどうしよう、とひとりがウキウキ投げかけている。別に反応も期待してはいない。もう自分の意思は決まっている。
そこに体はあっても意識はネット上のやりとりのうちにしかない。
もはやネットを切断して、何かが変わる時ではない。
ネットへの接続無くして、われわれは息もまともに出来まい。
この一連の騒動を経て、関係者たちが自分の大切なもの~家族との絆を見出しそれを再接続したように描かれているが、事態はそんなに生易しいものではない。何故なら、こうしたウェブ社会の成立は、前提として家~家族~愛着という制度~生物学的な基盤が解体した結果によるものだからだ。
ただ、漠然とした「寂しさ」と「保身」が事を厄介なものにしている。

物語はよく練られており、構成も演出も緊張感があって良かった。
音楽もとてもフィットしていた。
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