美術館を手玉にとった男

ART AND CRAFT
2015年
アメリカ
サム・カルマン、ジェニファー・グラウスマン監督
マーク・ランディス(贋作画家)本人
マシュー・レイニンガー (美術館学芸員)
30年間に渡り、贋作を無償で美術館に寄贈し続けたマーク・ランディスのドキュメンタリー。
彼は人々からは、障碍者として扱われており、ケースワーカーや精神科のカウンセリングも受けている。
彼は、ピカソをはじめ多くの有名画家の小品や習作を図録や画集から写して描くことを日課としている。
その描き方がまた独特で彼曰く「記憶術」によるもの。
絵のページの上に、紙を乗せ、ちょっと描いては、下の絵を覗き込みを繰り返しながら完成させてゆく、、、。
正直こんな模写の仕方はない。
確かに記憶術であり、ホントに特殊能力だ。
これが彼の描き方なのだろう。
贋作の描き方、ではなく、絵の描き方なのだ。

赤いキャデラックCTSクーペに乗り、颯爽と自分の描いた贋作を美術館に寄贈しに行く。
(このクーペ、わたしの近所のクライスラーのディーラーのショウウインドーに飾ってあって毎朝見ている車なのだ、、、何とも親近感を持ってしまう)。
これは彼の基本的なルーチンであり、彼の生~生活に深く根差した行為である。
但しすんなり先方に受け取ってもらうために、姉の残した形見であったり、母の膨大なコレクションの中の一つとか、由来を適当に胡麻化し、精密な検査を行わない美術館を選んだりするなど、かなり頭を使い計画的に作品を持ち掛けている。
彼の障害とはどのようなものなのか、、、。
やたらと精神科医を(紹介されて)巡り、沢山の病名を貰っていたが。
普通に自立して生活し、他者に迷惑を掛けずに過ごせれば、殊更に障害者呼ばわりされる必然性はない。
だが、この他者への迷惑の点で、彼のこの芸術的な行為そのものが引っかかってくるのだ。
贋作と見抜けず寄贈作品を展示してしまったことで、その美術館の被る評価である。
だが、実際に贋作展示で悪評をかった美術館はない。ただ内部の学芸員や館長が不快感を表明しているだけである。
騙され受け取ったことに対する自己嫌悪から来るものでもあろう。
全米20州46もの美術館で100以上の作品が本物として扱われていたことには驚くと同時に笑える。
しかしその事実に対しマーク・ランディスは全く得意になるわけでもなく、飄々と次の作品を描くだけなのだ。

彼は人のためになることをしたいという望みは常にもっており、神父になり(コスプレだが)出逢ったひとを祝福して有難がられたりしている。コメディ映画でもあるまいし、確かに常軌は逸している。
だが人から認められたいとかいう気持ちがあるわけでもない。
何らかの承認欲求もなく、利益も望まない(要求しないし受け取らない)。
ただ、何かを成した際の喜び~自己完結した自分の中での純粋な成就感を求めているのだ。
マーク・ランディスという唯一無二の男を知る人々の尽力で彼の個展が開かれる。
それに対して彼は世話になったと感謝の意は示しているが、取り立てて嬉しいとかいう訳ではない。
実際に原画も観ずに描いたにしては、確かにその絵の本質を直覚して描いたと受け取れる優れた素描だ。
つまり、実際の原画と並べたら異なるモノでも、その素描の質で学芸員をその作家の作品だと騙せるレベルには来ている。
それもあらゆる時代の様々なタイプの画家~描き方に対応している。ディズニーの原画まで模写~贋作しているのだ。
これは確かな才能であることは間違いない。

彼の才能を評価する人々からは、自分の絵を描いたらどうだ、と勧められる。
真っ当な意見だろう。
だが彼の描きたい絵は、誰かがかつて描いた絵の模写なのだ。
基本、彼の描いた絵に、それ以外の絵はない。
個展の終わった後、自分がこれからやる仕事は、失くした絵の復元とか無くなったページの復活を誰かのためにやりたいと詩的な希望を語っていた。
そう、徹底してオリジナル=自我の表現には、興味がなく、かつての修道僧が教会の内壁に修行の一環として宗教画を描いていたその身振りに近いものを感じる。
彼も自分を芸術家とは呼んでいない。
自分がやっていることは、図画工作だと。

自分の仕事を投げうって、彼をひたすら追いかけたマシュー・レイニンガーは、所謂彼の知る芸術家の誰にも似ていない彼の存在そのものに惹かれ、拘り続けたのだ。
技量に魅了されながらも、その行為に引きずられ、結局彼というものが分からないから惹かれたのだ。
まさにマーク・ランディス、存在自体がアグレッシブなアートである。
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