ねがい

2005年
清水厚 監督
村井さだゆき 脚本
楳図かずお 原作
笠原織人、、、柚木等(成績優秀な小学生)
遠山景織子、、、柚木悦子(等の母)
尾美としのり、、、柚木善郎(等の父)
奥村夏未、、、浦野智子(塾のともだち)
ついでなので、これまでに見たことのある楳図かずお原作の映画をどれも書いておこうと思う。
楳図かずお氏の作品は、見た範囲では人間が深層~闇に持つ思いのきわどさを描いたものが目に付く。
そこに怖さは確かに感じるが、所謂ホラー映画の原動力になる怨念や霊力とかに絞られるものではない。

子供部屋での空想が膨らむ姿を暗示させる導入部にはワクワクさせられる。
子供部屋の扉の向こうでは「ねがい」が叶うと、、、。
等少年は、特にともだちもなく、自分で人形を作り、それをともだちと呼ぶ。
その人形を「モクメ」と名付け、魂を入れたいとねがう。
映像がなかなか禍々しくそのドギツイカラーも相まって怪しい基調を醸している。
(薬屋を真ん中に挟んだ二つに伸びる路地の構図など、「アッジェのパリ」をも思い起こさせる)。
等少年の創ったともだち~人形「モクメ」も如何にも凶悪感漂う形相だ。
(ちょっと、「鉄人28号」に出てきたバッカスに似ている)。
誰が見ても気持ち悪いと思うであろうが、等も塾でチャーミングな美少女と親しくなってからは、モクメをとても疎ましく感じるようになる。
「等君の部屋で一緒に勉強しよう」と誘われ、母からも喜ばれ、いざ部屋に招待するにあたり、モクメが邪魔で必死に隠す。

等の家庭環境は恵まれているようで、優しい両親に大切に育てられていることが分かる。
お母さんは子供にとっては自慢したいであろう、よく気の利く綺麗な専業主婦である。
(何かとすぐに「おか~さ~ん」である)。
お父さんも物分かりの良い穏やかな人で、どちらかと言えば甘やかされて育っている様子だ。
モクメは何らかの欠如感、乾きから人工~抽象の心の拠り所を創造しようとしてできたのではなく、精神のもつ過剰さから作られた産物であった。確かいつも通らない道を自転車で走り、知らなかった魅惑的な場所を見つけその途上で拾った木から、人形作りが始まったはず。そうした広がり、他の系に連結するような感覚だと思う。
何であれ自分が望んで一生懸命に作り上げ念をかけたモクメであったが、これがいることで彼女とも気楽に会うこともできない。
既に現実が空想を追い越していた。今風に言えば、彼は立派なリア充であったのだ(笑。
等は、夜自転車の荷台にモクメを乗せて怪しい工事現場の深い穴に突き落として帰ってくる。
当然のごとく、ここから悪夢が始まるのだ。
等がモクメに魂を吹き込む媒体として電気スタンドに念を集中してかけていたのだが、それが見事に壊れていたのだった。
やはり当たり前のようにモクメは自力で帰還を果たし、等に殺気を放ち迫ってくる。
よりによって鋭い釘の歯を口に備えておくものだから、それでいやというほど噛みつかれる羽目にもなる。
しっかり等のねがい通りに自分の意思で動きまわり、等が智子と会うのを妨害し遂に彼女を塾の階段から突き落としてしまう。
智子はその日を最後に塾を辞めてしまった。

モクメの反撃は止まらない。
差し詰め「ともだちだと言っただろ」というところか。
こうなると、怨念ものか。
等は自業自得とは言え、一気に地獄に突き落とされた様相である。
夜。いるはずの母が鍋は火をかけたまま、Tvもついたまま不在で、母はすでにモクメに殺されたのだと恐怖し、もぬけの空の家で、等は嵐の雷光のなかモクメに襲われる。
脚を掴まれ階段を這いずって降りてくるところなど、まさにホラーのシーンである。
子供の持つ残酷さもよく表されており、モクメに「ごめんなさい。ぼくが裏切ったんだ。これからもずっとともだちでいるよ」と言いモクメがひるんだ隙に椅子が壊れるほどにモクメを叩き壊す。
「お前がいるとともだちが出来ないんだよ」でとどめをさす。
モクメを作り始めたときは、気持ち悪がる母に対し「ともだちなんかいらない」と言ってモクメ作りに没頭していたのだが、、、。
引っ越しの挨拶に来た智子を駅まで迎えに行っていた母とそこで偶然逢った父が三人で帰宅すると、あちこち血だらけの等が玄関に憔悴して座っていた。彼は何度も「ごめんなさい」を繰り返していた。
もうこれ以降、等の空想が現実を侵蝕することはなくなるはず。
楳図かずお氏のものとしては、非常にストレートな運びだ。
演出はとても凝ってはいるが、噺そのものは至って分かり易い。
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