田淵行男

田淵行男という飛んでもない人を初めて知る。
共感し感動した。
これもまた、日美から(笑。
「まだ見ぬ頂を求めて」という題であったか。まさにその通りであった。
山岳写真に革命を齎した写真家だ。
1940年12月1日未明に彼が息を殺して撮った浅間山からそれは始まる。
(太平洋戦争一年前ではないか)。

これまでの全貌を説明的に捉えた単なる記録写真から、部分を切り取ることでディテールからその山の本質を鷲掴みするような芸術的山岳写真を生み出した。記号的に対象を眺めて確認する類のものではなく、息を呑むような緊張感が張り詰める臨場感がそこにはある。恐らく作家がその場所を切り取る瞬間のこころのざわつきの感じられる程のものである。
この抽象画のような浅間の画像は、センセーショナルな話題を呼び多くの議論を引き起こしたという。
彼は学校の先生をしながら山で7000日を過ごしたそうだ。
一枚をものにするために多くの月日を必要としたのだろう。
更に彼は高山蝶の研究家であり、細密素描家であり、「本」の企画・立案・制作をも受け持つ所謂ディレクターか。
博物学的素養を持つ突出したクリエーターでもあった。
ともかく、「山」が好きで多面的に、とことんそれに迫った人であった。
(荒俣宏氏をつい想いうかべてしまう。向こうは魚であるが)。
これもまた、1枚限りの1本勝負である。
冬山にテントを張って待機し、早朝3時にカメラと割れたら終わりのガラス乾板を持って山道を凍えながら分け入って行く。
当時、カメラも重く、ガラス乾板による撮影でもあり、絶好の場所~光を息を殺して待ちそれを切り取るのが撮影であった。
今のように軽量高性能デジタルカメラで幾らでも撮り放題の時代ではない。
「リトレックⅠ」という日本製の寒さに強い一眼レフカメラが愛用機であった。
例の浅間も初冬の初冠雪の光景を狙ったそうだ。
彼の登場で、山の本質を芸術家の目で捉える山岳写真が生まれた。

確かに違う。
そして彼自身が編集した、いやもはやディレクターとして最初から最後まで関り作り込んだ写真集は、もうそれ自体が高度なアート作品となっている。
プロの編集者でもここまで拘るのは、松岡正剛氏くらいだろう。
通常、写真家がそれを載せる本自体を自分の思いのままに作ってしまうなんてことがあろうか。
そこまでは到底手が回らないはずだ。
それぞれページ毎に異なるアートワーク、奇抜で斬新なレイアウトなど、読者への伝え方をどの次元まで突き詰めようとしたのか!
彼は写真を撮って後は編集者に丸投げする写真家と異なり、実際の読者にどこまで自分の撮った山の実質を知らせることが出来るかに極限まで拘ったのだ。
とは言え彼自身とても楽しみながら工夫を凝らしている気がする。
感性的な軽みやしなやかさを多分に感じ取れるのだ。
意匠を凝らしてはいるが、楽しく見れるものになっている。
遊び心も旺盛な人であったのではないか。
そして高山蝶の細密画。
博物学を治めた人らしい絵である。
対象に対する「愛」が半端ではない。
幼くして両親を亡くした彼の精神の拠り所でもあるのだ。
雪を纏う高山に惹かれ、寒冷地を求めそこに追いやられた蝶に自分を(運命的にも)重ねたのか、、、
これは肖像画でもあるのか。




どこまでも高みへ白く光る場所へまだ見ぬ頂へ。

好きなこと、好きなもの、惹かれるものに彼は徹底して拘り続けた。
そうして出来上がったものが肌身に感じられるようなスリリングで美しいものであるのは当然だ。
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