プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。
友人から、お前はトマトか?と聞かれたので、だいぶ前に使っていた写真に戻します。

*当サイトはリンクフリーです。

PICKUP
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
シャイン
鑑定士と顔のない依頼人
英国王のスピーチ
やさしい本泥棒
末期の目
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
カレンダー
10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ふたりの人魚~娘の音楽発表会

futari001.jpg

蘇州河
2000年
中国、ドイツ、日本

婁燁(ロウ・イエ)監督・脚本
ボルグ・レンバーグ音楽
王昱(ワン・ユー)撮影

ジョウ・シュン、、、ムーダン、メイメイ【二役】
ジア・ホンシャン、、、マー・ダー(運び屋)
俺(カメラマン)


形式的に面白い映画であった。
終始、姿は一切見せない俺の(主観的)視座から描かれるのだが、特筆出来るのは、俺が見ている日常世界だけでなく、恋人のメイメイが俺に語った物語をやはり同様の視界で描き出してゆくところだ。
つまり何度もマー・ダーの語る彼女ムーダンの噺を聴かされたメイメイがその噺を俺に聴かせて俺が咀嚼した物語世界がやはり日常の光景のように映っているのだ。俺がカメラマン(映像作家)であるというところが上手く生かされてもいる。

今まさに広がる世界を映すだけでなく、物語られた世界(文学)を映像化して接続する。
この本来異質な像がシームレスに映像空間のなかに侵食してくる。
俺の想像や何処かの記憶など、何らかの心象であったりする。
もしかしたら夢であったり、、、。

それぞれの像は鮮明であっても境界はぼやけ、独特のイメージのコンテクストが綴られる。
ムーダン、メイメイの瓜二つの綺麗な女性がいるのか、本当は同一人物なのか実際どうなのか分からぬまま進み、ようやく二人が出会ったときは片方(ムーダン)は死んでいた。そして作り話と疑っていたマー・ダーの噺も本当のことだと確信する。しかしこの時点でムーダンとマー・ダーが死体となっている為、2人の存在以外のディテールはもはや確認しようがない。
しかし、マー・ダーが自分の元を立ち去ったムーダンを命がけで死ぬまで探したことは事実である。
メイメイは、俺にわたしが消えたらどうする?死ぬまで探す?と確認し、彼女もまた姿を消す。
俺はどうするのか、、、。
どういう物語を接続するのか。

futari002.jpg

考えてみれば、このような手法は他の映画でも(無意識的であっても)取り入れられている。
ただし、この映画はそれを意図的に方法として採用し曖昧にぼやけた心象世界を見事に作り上げている。
この映画を観ることでわれわれも、それを構造的に意識させられる。
形式面でとても綿密に練られた映画であると思う。

どうも上手くまとまらないのだが。
こちらも映像に浸っているうちに眠くなってきて何度か寝落ちしてしまった(笑。
感覚的なところに妙に意識が向いてしまうが、そのうちストンと気の抜ける映画だ。


もしかしたら単に疲れていたのかも知れない。
娘の学校の音楽発表会の日であった。
娘を集団の中で探すのがとても大変なのだ。
合奏では、リコーダーと鍵盤をやっているので、空間的文脈において探し当てはしたが、はっきり見えたとは確信できない。
合唱のフォーメーションのなかではもうさっぱり何処にいるのか分からず仕舞いであった。
ずっとあいまいなまま音だけ聴いて来た。
(実は音もどこか上の空になっていた。探す行為が集中する気持ちを疎外するのだ)。

今年はピアノの伴奏はやらないことにしていたが、一緒に遊ぶ(絵も描いて一緒に表彰式に行った)お友達が今年も伴奏をしていた。
長女が、複数曲あるので一曲伴奏に立候補すればよかった、と言っていた。
来年やればよいとおもうが。
ピアノならはっきり何処にいるのか分かる。
落ち着いて見ることも出来から、音にも浸れるはず。
今年はそのお友達の姿ばかりがよく確認できた。






関連記事

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

SF PickUp