プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。


*当サイトはリンクフリーです。

PICKUP
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
シャイン
鑑定士と顔のない依頼人
英国王のスピーチ
やさしい本泥棒
末期の目
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
カレンダー
11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

こぼれる月

MOON OVERFLOWING001

MOON OVERFLOWING
2002年

坂牧良太 監督・脚本

河本賢二 、、、高(強迫神経症)
目黒真希 、、、あかね(高の彼女、やはり神経症)
岡元夕紀子 、、、千鶴(不安神経症)
岡野幸裕 、、、ゆたか(依存性、拘りの強い粘着気質の青年)
田島令子 、、、千鶴の母


ドキュメンタリーで描いた方がインパクトがあったのでは。、、。
というのも、理解度不足からくるあやふやな(おどろおどろしい)創作が入ってしまうと、病気~障害の誤解に繋がってしまう。
当人に出演してもらうこと自体が難しいところはあると思うが(治った人ならまだしも)。
その内的体験・衝動・感覚(苦痛)をどう伝えるか(描くか)である。実際その病をそれとして対象化するには、やはりいままさにその状況にある人には無理であろう。
かつて、わたしはその症状に苦しみました、と過去形で言える人の協力、出演の方が説得力は増すはず。
ドキュメンタリーの方が正確で力がある、と思う。
役者が演技しているということが、何かと引っかかった。
こぼれる月というほどの詩情も感じないし、あまりリアルにも思えないのだ。演技が上手い下手ではなく。こうした創作自体。

MOON OVERFLOWING002

わたしも身体が自分のものではない、乖離感に悩まされた時期がある。
それはまさに身体感覚としてであり、今現在の「場所」からその状態の記述~解説は困難なものとなっている。
その時の記憶は残っているが、(身体)感覚がきれいにない。
今考えると自分が自分の主ではなく、他者によって操られる、乗っ取られた感覚に近いものであった。
それはまた、あらゆる客観的な(外部の)法など、全くどうでもよいものという前提によっている(ここは今でも変わらないが)。
つまりそれくらいに第一義的であり、根源的で原初的な、そして代替不可能な(還元不能な)欲動そのものだったのだ。
だからと言って、それを本当の自分の姿、自分の真に望むもの~ことかと言えば、もはや自分がどうのという次元のものではない。
これについては、また改めて別の機会に考えたい(今日は全くそういった気分ではないので)。

本人が家に籠ってしまうことも、外には出せないケースもあることが分かる。
恐ろしいからだ。そして危険だから。保護するしかない。
わたしは、現在仕事を退き、基本的に家事(特にお料理)をやっているが、ほとんど家を出れない。
普通、これは精神的にキツイ。大変閉塞感を感じ煮詰まってくる。
部屋に籠っているということは、少なくとも自然ではない。清々しい天気の日や月の綺麗な夜など、、、。
(わたしは雨の日の散歩も好きなのだ)。
それでもなお、中に籠った方が安らぐとすれば、スイッチが入る事への恐怖があるからだ。
(強迫神経症については、場所は何も関係ないか)。
儀式がともかくやめられない。
分かっちゃいるけどやめられないことは誰にでもある。
これは、大目に見るしかあるまい。
時間を少し浪費するくらいのものだ。と思うしかない。

映画では、その病気とうまく付き合って行くようにと、担当医から言われていたが、薬をずっと飲み続けて症状を緩和する以外の方法を模索する必要はあろう。
つまり苦痛からの解放である。
ひとつは、自分をこのように在らしめた原因とその構造を突き止めることに他ならない。
それが出発点だと考える。すくなくともわたしの場合、そうであった。


度々ある顔~表情アップが邪魔に思える。
どうも構図も落ち着かない。
必要以上に暗すぎる場面がストレスになる。
水がやたらと零れていたが、それが何だというところ。
まさか、これがこぼれる月にかかるのか、、、ってどうでもよい。
わたしには、全く引っかかりがなかった。

この映画がこうした人~他者に対する関わり方の考慮に役立つのならひとつ意味はあると思うが、どうであろう。
自分たちとの違いを単に差別(弾圧)の対象としか見なかったり、質の悪い者はそこに自分の内面(劣情)を無意識に投影して、攻撃してきたりもするものだ(爆。
よくって自分もこういうことで悩み医者にも通ったとかいう人が感慨に耽る感じで終わる気がする。


関連記事

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

SF PickUp