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GOMA28

Author:GOMA28
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凶悪

kyouaku001.jpg

2013年

白石和彌 監督・脚本
高橋泉 脚本
新潮45編集部編『凶悪 -ある死刑囚の告発-』原作

山田孝之 、、、藤井修一(「明潮24」の記者)
ピエール瀧 、、、須藤純次(死刑囚、元暴力団組長)
リリー・フランキー 、、、木村孝雄(不動産ブローカー、「先生」と呼ばれる)
池脇千鶴 、、、藤井洋子(藤井の妻)
ジジ・ぶぅ 、、、牛場悟(牛場電機設備の経営者、多額の借金を背負う)
白川和子 、、、牛場百合枝(牛場の妻、夫・悟の殺害を木村らに依頼)
吉村実子 、、、藤井和子(藤井の母、認知症)
小林且弥 、、、五十嵐邦之(須藤の舎弟)
斉藤悠 、、、日野佳政(木村から託された舎弟)
米村亮太朗 、、、佐々木賢一(須藤のムショ仲間)
松岡依都美 、、、遠藤静江(須藤の内縁の妻)
村岡希美、、、芝川理恵 (「明潮24」編集長)


1999年に起きた殺人事件「上申書殺人事件」を基に、獄中の死刑囚が告発した殺人事件の真相を新潮45編集部が執念の取材によって暴き、警察の再捜査を促し首謀者逮捕に漕ぎつけたドキュメント映画ということだ。

このような「凶悪」犯罪は、想定の範囲内だろう。
TVニュースでも屡々、窺えるものだ。
知らぬうちに免疫は出来ているはず。
これからは、「行きずり」(理由なき反抗)や愉快犯やテロなどがこういったものに加わって行く率が高まると思う。
何処でも繋がるといった感じで。
殺気すら感じず消されるケースも出てくる。

最早、ここには情緒の余地はない。
殺された者も自分が死んだことにすら気づかないかも。
そんな速度の時代になる。
(映画から離れてしまった。戻ろう)。

この映画(こういった映画)を観ると、、、
悪意と敵意に充ちた共通感覚というか、集合無意識的な層の渦巻く感覚にヒリヒリする。
その底流に接続すれば、恐らく誰もが時も処も構わず「凶悪」を発動する可能性は高い。
これは時代~今の政治や教育や家庭環境をはじめ特殊な事情などの影響もあろうが、人間の本質によるところが大きいうえにその本質自体の変容も感じられる。最近、ロジェ・カイヨワの「戦争論」をNHKが特集していたが(わたしも昔読んで随分感銘は受けたものだが、ヒトという状況はどうもその先に来てしまった感がある。ただそれを指摘する用意はない。まだ漠然としている為)。

この映画で、特に強調されていたのは、金もうけに直結するしないに関わらず、「老い」の問題に焦点が当てられる。
この先、「老い」がこのような事態の触媒となってゆくことは間違いない。
更にエスカレートしてゆく余地は大きいはず。
木村孝雄が老人ホームを前に言うように、「ここは油田だ」であろう。
ヒトが加速度的にモノ化してゆく(勿論、随分前から記号化されてはいるが、生身で相対してもモノなのだ)。


虐めにしても、何であっても人を罰したい~殺したい、という沸々とした欲望を、陶酔や眩暈に塗れて満たしてゆく過程だ。
決まってこの流れに呑まれると自ら進んで深くのめり込んで行く。
ここでは、殺人鬼もその罪を暴こうとする記者も同等の修羅と化す。
自分の目的のためには全てを犠牲にする(ここでは、何の名の元であろうが、ヒトを葬る目的である)。
大概、後からムキになった方が際立つ。そして相手に冷静に指摘されたりすることもあろう。
あさましい目つきは日常によく見る。そう目つきだ。
一見、普通の顔をしているつもりであってもターゲットをそれとなく漁っている。
そして手ごろに感じたものに食らいつく。
その行為を自分の立場で正当な理由を宛がい合理化しつつ。
だが、それがほとんど意識すら介さずやってくるシーンにも準備が必要になってきた感があるのだ。
(また脱線しそうなので、これについてはやめる。ただこうした暴力について考えるとどうしても人間の変容についても取り込んで行く必要性は感じる)。


激しく渦巻く殺意の水脈はマルチバースに偏在し、破壊の欲望を刺激する標的を見出したところで、誰もがそこから無尽蔵の憎悪エネルギーを汲み上げてゆく。
基本、われわれはそうした機械とも謂えるか。
様々なレベルで、暴力が絶えない、戦争も常に世界のどこかで続いている、そしてテロが偏在し潜在する世界。


法廷での最後に、須藤純次の生の謳歌には、呆れ返るが清々しいものすら感じた。
あっけらかんとキリスト教に入信し神の言葉を唱えている。
自分が生きながらえるためには、全ての物事は等価であり、何のためらいもなく利用し排除する。
家を崩壊させ彼らを追い詰めた藤井修一が二重の意味で(彼らに対しても自分に対しても)切れるのも仕方ない。
認知症の母を彼らがエサにしていた老人ホームに入れることとなる藤井と妻の姿が何とも印象に残る。



キャストは皆、凄い演技であったが、やはりピエール瀧とリリー・フランキーの目である。



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