音についての存在学 断片補遺1

分子間距離が音の波長以下の分子密度をもつ空疎な空間では音は伝播しません。10万km上空になると音の存在はなくなります。音は、大気圏内に現象します。ちなみに大気圏は概ね500km以下とされています。
大気圏内には、ヒトの精神を伝え育む音声をはじめ、多様な音が鳴り響いています。音楽もそのひとつ。
しかし地球には音を必要としないものもいます。魚や亀に耳はありません。「ガメラ!」と子供に呼ばれてヒョイっとそっちを向くガメラは、少なくとも、亀ではありません。
一方、ヒトにとって、中世までもっとも優位に置かれていた感覚は、聴覚でした。神の御言葉を聴く。本を読むのは音読を意味した。等、、、。
またヒトによって、優位感覚は異なります。聴覚系のヒトは相手のちょっとした声の変化やイントネーションなどにも敏感です。騒音があると集中できないので、何かをするときには静かな環境を整えることが必要になります。耳から入ってくる情報が学習の元になるようなヒトです。
「すべての芸術は音楽の状態に憧れる。」という言葉があります。音は輪郭を形成しません。この音、あの音などといった言い方は誤りです。音は距離をもって捉えられるものではなく、常にやってきているものです。音は具体性から解放された、極めて抽象的で直接的な力です。詩はまさに!
視覚優位にある現代、物事はことごとく空間化(対象化のための距離感覚のもとに統合)されがちです。しかし音は、持続(時間)に属します。
音は自立しません。音は律動します。自然界の諸現象に深く結びつき、生命現象については、それをもってはじめて生命と呼ばれる本質的なものです。種としての律動、個体を形成する諸器官の律動、器官を構成する諸要素の律動、そして分子レベルにおける諸律動、さらに諸個体の個性としての律動、つまり精神という潜在する持続、これも音声を常に伴う律動です。
とは言え、「音楽」というものは、わたしたちの内でイマジネイションの力により空間的に構築されはじめてそれとして聴こえるものです。モーツァルトの一度曲を聴くとすぐに全曲暗譜できる才能もその空間マップによるものによると言われます。
音は耳障りなノイズともなります。いえ、もともと音はノイズでしかなく、わたしたちがそのノイズの洪水のなかから有意味な、あるいは可聴範囲(20~2万ヘルツ)のものを所謂「音」としていると言えましょう(可視光が電磁波の一部であるように)。風のそよぎがときとして何か恐ろしい呪文に聴こえたり、聴こえるはずのない低周波(7ヘルツ)が体にひどく悪い影響を与える例もあります。それを研究しようとして内臓がドロドロに溶けたヒトもいたそうです。
われわれの世界音=地球音
「われわれひとりひとりは全生物界と同じほど古く、そしてわれわれの血の流れは、生物界のすべての記憶を集めた大海の支流なのである。」(J・Gバラード「沈んだ世界」)
ヒトのからだは、原始地球に発生した生命音(律動)をそのまま数え切れないほど宿しています。例えば、細胞内にまだ完全に融合していないような形で(共生的に)重要な役割を果たしているミトコンドリアや血液中の白血球、それにRNAも太古ウイルスとして飛来し、生命維持になくてはならない存在(要素)となったと言います。1980年レトロウイルスという逆転写酵素をもったRNA型ウイルスが発見され、宿主のDNAの遺伝情報を勝手に書き変えることが分かりました。エイズです。
とは言え、それと共生関係を結べば、それなしで生きれない新たなヒト(ニュータイプ)とわたしたちはなることでしょう。
人類はこれまで何度もそれを経てきているようです。
存在の数だけ律動があります。存在とはレベルを異にする他者との絡み合いの過程で現象します。

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THEME:博物学・自然・生き物 | GENRE:学問・文化・芸術 |