ファントムワールド

夢と現というが、われわれの現実が脳~言語作用の作り出す画像そのものであれば、どうであろう。
ただ、「その世界」があるのみである。
表象とは悉くそうしたものであろう。
するとしかしわれわれに果たして外部~他者というものが可能であるか?
それには自己対象化能力~空間に対する感覚(距離感)如何であるところは大きい。
少なくともわれわれの現実は、自らが作り上げた~投影した、ファントムである部分が不可避的に含まれると考えた方がよい。
「無際限ファントム・ワールド」は目一杯、娯楽性を高める形でそれを表していたが、実際の日常には愚劣なイメージの相克に終始する場合が多い。わたしも愚劣極まりないイメージの投影から酷い迷惑を被った経験がある。
今日は京アニの「氷菓」(TV版)を6話まで観たが、学園ものドラマとしてこれほどの水準のものを見たことない。
勿論、学園ドラマを見たことは少ないとは言え、瞠目する内容と表現形式~演出の妙であった。
斬新なキャラクタも創造し、日常の時間をここまで精緻に描きだせる制作集団はこの他にあるだろうか。
「氷菓」でいよいよこの京アニの途轍もなさが実感できた。
と同時に、京アニの熱狂的なファンと批判的なアニメファンの存在も強く意識した。
これだけのものを作れば当然、両者が生まれることだろう。
しかしそのどちらも、適切な距離(空間性)を保って対象に接していたはずである。
今回、スタジオを襲撃した者は、その距離感を持たない(対象化できない)ことが分かる。
自らが生み出したファントムを現実とする者であった。
自分が応募した原稿が選ばれなかったくらいで逆恨みをする人間は恐らくそうはいまい。
もし確信をもった自信作が相手にされなければ、普通ならファンをやめる方向に行くであろう。
そんな選択肢自体がこの男には存在しなかった(「俺にはそんな余裕がない」という叫びがもはや他の世界がないという魂の叫びに受け取れる)。
その男は間違いなく「京アニ」に熱狂し、激しく愛していた(自宅の京アニグッズなどからも)。
しかし愛憎は表裏一体のものである。
この男の憎悪は、強い愛情の裏返しの狂気に相違ない。
距離を持たない~自己対象化の経験の欠如した者の及ぼす悲劇。
他者に対する空間感覚の欠如が大きな悲劇を生んだ例だ。
こういったことは日常にたくさんある。
この世はファントムだらけである。
子供に対する他者感覚の微塵もない(距離のない)親もはっきり存在する。
こうした親は、間違いなく子供の魂を無意識に殺害する。
このような親と全く同質の精神構造の男と言えよう。
ジョンレノンを殺害した男も彼の熱狂的なファンであった。
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