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GOMA28

Author:GOMA28
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日の名残り

The Remains of the Day002

The Remains of the Day
1993年
イギリス、アメリカ

ジェームズ・アイヴォリー監督
ルース・プラワー・ジャブバーラ脚本
カズオ・イシグロ『日の名残り』原作

リチャード・ロビンス音楽

アンソニー・ホプキンス 、、、ジェームズ・スティーヴンス(執事)
エマ・トンプソン、、、ミス・ケントン(女中頭)
ジェームズ・フォックス 、、、ダーリントン卿
クリストファー・リーヴ 、、、ルイス(アメリカ人の富豪)
ピーター・ヴォーン 、、、ウィリアム・スティーヴンス(スティーヴンスの父親)
ヒュー・グラント 、、、レジナルド・カーディナル(ダーリントン卿が名付け親になった青年、新聞記者)
ミシェル・ロンダール、、、デュポン(フランスの政治家)


この映画については、小説は読んでいる。
一人称の硬質な品格ある文体の小説が見事に映画化されていた。
アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンは完璧に感じた。この他の役者は思いつかない。
まさに品格によって。

対独宥和主義者であったダーリントン卿に長く仕えてきた有能な執事のスティーヴンスであったが、主の死後アメリカ人の富豪ルイス氏がダーリントンホールを買い取り、彼もそのまま新たな主に仕えることとなった。象徴的である。
スティーヴンスが新しい主人ルイスの勧めで彼のダイムラーを借り、イギリス西岸のクリーヴトンに小旅行に出かけることになる。
ちなみに原作はフォードで出掛けた。その間にご主人も何処かに旅行と言っていたが、本当のところはよく分からない。

スティーヴンスはかつての女中頭のケントン女史に会うのが目的である。20年前の彼女の自分に対する想いを今になって確認したい。この間に自分が関わってきた全てのものが次々に瓦解してゆくなかで、晩年を迎え確かなものを確認したい。彼のなかで時熟したのだ。(世の中と共に自分もまた変わったのだということを)確かめる時だと、そんな気持ちだと思う。名目上は使用人の不足を何とか補うため彼女の現状を確認したいというところか、、、。
その旅路のさなかに過去の回想シーンが鮮やかに挟まれ物語はゆったりと濃密に展開して行く。
この構造は小説と同じである。
異なるところはいくつか見られ原作に出て来て映画にいない人物もいる。ファラディ氏など。彼はJFKであり、かなりきついジョークを連発していて、映像化されるとかなりどぎつくなってしまうはず。新しい主人を全くの別人ルイスに替えてしまうというのも、この映画の場合正解であったと思う。リリカルな品格が保てる。

The Remains of the Day004

有能な執事スティーヴンスは品格を何度も説く~諭す(問われたりもする)。
スティーヴンスもその父もイギリス紳士としての品格を極めんとした人であろう。
「品格」という概念に思い入れも強く、それに何より重きを置く。

ひとつの権威に完璧に仕える職業意識によって品格は磨かれてきたのだ。
勿論、その権威の主体に対しても並々ならぬ敬愛の情を抱いてきた。寧ろそれを前提としていた。
しかし品格自体を対象化~目的的にしてしまうようなニヒリスティックな状況に事態は向ってしまう。
ダーリントン卿のように品格ある高潔な名士がドイツに良いように利用され権威を失墜してしまう(彼はひたすら国家間の相互理解に尽力してきたのだ)。最終的には敵に魂を売った売国奴扱いにされ名誉も失う。スティーヴンスもその主がユダヤの女中をクビにしたあたりから、彼を支え続けて来た信念は流石に揺らぎだす。動揺を隠しきれなくなる。
それまで絶対的に信頼してきた存在が大きく迷走を始めるのだ。
やはり彼の主は政治に関しては素人に過ぎなかったのだ。政治は悪党でないと務まらない。
尊敬すべき特別な主に仕えそれを支えるプライドが、執事という職務を完ぺきに熟すことに静かに移行するように映る。

The Remains of the Day003

いくら執事はそこで行われる要人たちの会話や対談に関わらないように心掛けていてもやはり、社会に生きるひとりの人間である。
自然に話は耳に入ってくるものだろう。
疑問も沸々と沸いてこよう。
しかしそれらについては一切口にはしない。
それがマナーだ。心のうちに沈めておく。これも疲れる稼業だ。

だが、クリーヴトンで出逢った人々には色々と根掘り葉掘り聞かれる。
ダーリントンホールから来た紳士であることから。
彼は諸外国の要人にもたくさん逢って来た。
主は当然ダーリントン卿である。
あなたは、常に彼の身近にいて、今一体どういう気持ちでいるのか、と執拗に問われる。

この旅でそれを総括するつもりだ、という意図の返事を返す。
かつての主の悲劇~大英帝国の崩壊に同期する極私的な、恐らく一時も脳裏を離れない大切な女性を喪失した彼自身の生き方を対象化する旅であった。

The Remains of the Day001

彼は彼女に20年ぶりに逢うが、彼女の彼に対する気持ちは変わっていなかった。
彼はかつて彼女の気持ちを知りながら執事という品格の象徴を守るあまり彼女を受け容れなかった。
ミス・ケントンは、他の男性の求婚に応じミセス・ベンとなっていた(だが結婚生活は破綻していた)。
すでに世界も自分も、全ての状況は変わっていた。
しかし彼女の状況はミセス・ベンをこの地に縛り付けた。
孫が出来たのだ。近くで世話をしてやりたいと言う。
以前のように、お祝いを言うスティーヴンス。
「ミセス・ベン、どうやらバスが来たようです」自分から事を急くようにこう言ってしまうところ、わたしもそうなのだ。
ほんの束の間の語らい。雨のなか彼女はバスに乗りこみ暫し繋いだ手はやがて解かれ、、、今生の別れを互いに確認し合う。
去りながら泣いて手を振り続けるケントン女史の表情は忘れられない。
これだけが彼にとり(決して取り戻せない)確かなものであった。

小説では、スティーヴンスが新しいアメリカ人の主人ファラディ氏がジョーク好きの為、一生懸命ジョークの練習をする場面、それを恐る恐る試す場面があるが、それはここにはない。とてもお茶目で滑って(スルーされて)反省したりするところは楽しいものであったが(ブラックユーモアも満喫できる)。

エンディングは、共に旅から戻ったルイスとスティーヴンスがカラッと明るいダーリントンホールにて、これからのことを話す。
ご家族がお移りになるころまでには、しっかりと整えます、とこれまで通り職務を完璧に遂行する姿勢を見せるスティーヴンス。
ルイスが屋敷に迷い込んだ鳩を窓の外に放つ。


小説ではファラディを立派なジョークでびっくりさせようとジョークの練習に取り組む決意を新たにする。
人生が思い通りにいかなかったと言って後ろばかりを振り向いていても始まらない。
一日の内で一番楽しめるのは、夕方なのだ。






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COMMENT

こんばんは⭐️

映画の方は、未見ですので
せっかくご案内戴きましたのに
語るものがなく申し訳ございません。

原作は、(”Never Let Me Go”にこころ動かされ
その後に)読みました。
彼の作品はこの2作しか知りませんが

”Never Let Me Go”にて
行間から溢れ来る「同じ人間なのに」
一方で
”The Remains of the Day”の背後にある英国ヒエラルキー
職業倫理を語るその先に

私たちが生きるに
”ほんとうに大切なもの”へ想いが
通奏低音のように全編に流れていたように感じました。

(ダーリントン卿の対独宥和主義もその切欠
バックには、恣意性を含むヴェルサイユ体制が、
まして時代の価値観もありますから入り口に関して謂えば同情の余地はなくはないのかと。)

>彼はJFKであり

そうですね
JFKも感じますね
複数の人格が重なり合っているようにも

>ひとつの権威に完璧に仕える職業意識によって品格は磨かれてきたのだ

特定の職業に要請される
自身の行動を律するための基準や規範
を忠実に守らんとする
そんな職業倫理
分を守り、仕えた主人のことには
死してまでも口を噤む従者といえば
日本でも、宮仕えの心得しかり武士道しかり

>品格自体を対象化~目的にしてしまうようなニヒリスティックな状況に事態は向ってしまう。

此処なんですよね
品格の本質に迫るなら
精神延いては思想も極めないとならない
にも拘わらず立場がそれを許さない
ジレンマ、その悲哀。

>一時も脳裏を離れない大切な女性を喪失した彼自身の生き方を対象化する旅であった。

こうしたGOMAさまの受け止め方好きです。

>自分から事を急くようにこう言ってしまうところ

私も同じところあります
恐らく
”間”
に耐えられないんですね笑

ここのところ、
本作に影響を受けた記事を書いてます。

Re: こんばんは⭐️

ありがとうございます。

> 私たちが生きるに
> ”ほんとうに大切なもの”へ想いが
> 通奏低音のように全編に流れていたように感じました。

まさにそういう物語でありました。
ダーリントン卿は強いてモデルを探せば、ネヴィル・チェンバレンでしょうか?
とても重なるところを感じます。

> JFKも感じますね
> 複数の人格が重なり合っているようにも

わたしは読んでいてJFKの顔が浮かんできました(笑。

> 日本でも、宮仕えの心得しかり武士道しかり

文化にはこの重みを感じることが少なくないです。

> 精神延いては思想も極めないとならない
> にも拘わらず立場がそれを許さない
> ジレンマ、その悲哀。

全くその点において、彼は大切なものを失ってしまった。そしてそのことを痛感する。でもそれで自分を変えることなど出来ない。それを確認するのみ。ただ痛みを確認するのみ。映画の終盤は、ひたすらカラカラに乾いた悲哀~絶望に充ちていました。
(プロコルハルムの音楽、特に「グランドホテル」はそこを描いていると思います)。

> こうしたGOMAさまの受け止め方好きです。

ありがとうございます。自分の確認したことに共感を得られることが、せめてもの救いです。
それ以外に救いなどありましょうか?

> 恐らく
> ”間”
> に耐えられないんですね笑

自己解体の魔を避けるような、、、。
諦観に近いものでしょうか。わたしの場合です。

> ここのところ、
> 本作に影響を受けた記事を書いてます。
はい。拝読させていただいております。

また、宜しくお願いします。

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