ザ・マミー

Vuelven
2019年
メキシコ
イッサ・ロペス監督・脚本
パオラ・ララ、、、エストレヤ(母を待つ11歳の少女)
イアニス・ゲレロ、、、シャイネ(ストリートチルドレンのリーダー)
ロドリゴ・コルテス
テノック・ウエルタ
ほぼ、子役だけの映画とみてよい。
堂々とした演技だ。
パッケージにギレルモ・デル・トロ監督からの高い評価が載っていたが、彼の「パンズ・ラビリンス」と同等の基調を感じる。
(向こうの方が装飾性が高く耽美的ではあるが、しかし共に繊細で稠密な作りである)。
とても暗い空間が多く、フィルム・ノワール的な雰囲気~要素が強い。
メキシコの現実の恐ろしさとその闇の深さに引き込まれてゆく。

母が何者かに連れ去られ、独り家に残されてからエストレヤの身辺に不吉な影や不気味なクリーチャーが現れる。
これは彼女の白日夢か幻想か、それとも、、、。
お腹も空く。母もおらず学校も暫く閉鎖となり(戦争か)もはや日常の時間は立ち消えた。
彼女の歩く後に血液の流れが走って行ったり、不在の母の囁きがはっきり聞こえたり、壁のトラの落書きが動き出したり(アニメーション)、人形が動いて喋ったり、飛翔するクリーチャーがスマホに飛び込んできたりと、、、
心象界と現実が混在・錯綜するかのような場に彼女は入り込む。
家にいるのが怖くて、ストリートチルドレンのねぐらに彼女は逃げ込む。
(彼らも親や兄弟をさらわれ臓器売買の業者などから逃げて潜伏している年端もいかぬ少年たちであった)。
はじめはなかなか彼女を受け容れない少年たちであったが、人身売買や麻薬密売組織の男で彼女の母を誘拐したと思われる人物が殺されてから、彼らはその一味に命を狙われ始める。
共に逃げながらエストレヤとシャイネの距離が縮まり、ほかのメンバーも彼女に打ち解けてゆく。
少年たちのリーダーのシャイネがその殺された(当初はエストレヤが撃ち殺したと勝手に思い込んでいた)男から盗んでいたスマホを彼らは取り戻しに来たのだった。
そこには、その組織のボスで議員に立候補している有力者の男が誘拐してきた女たちを拷問にかけ撃ち殺している現場の動画が保存されているのだ。
(実はその動画で殺されていたのがエストレヤの母であった。それを確認したのがシャイネである)。
そのデータが漏れては選挙には勝てない。手下と共に血眼になって追ってくる。
スマホを持って逃げることは居場所を教えながら逃げるに等しい。
とは言え少年たちにとっても動かぬ証拠であり、それは手放せない。

但し、それは少年たちにとり事実関係の確証とはなっても実際に証拠として法的な有効性は極めて覚束ないものであった。
その動画を見せられたパトロール中の警官は見なかったことにして少年たちから逃げ去ってしまったのだ。
これこそ嘘だろというような現実であった。
メキシコの現実の怖さの一角を見た思いである。
もう少年たちで何とかするしかない。
エストレヤは何度も母から「その男をわたしたちが捨てられている場所に連れてきて」という声を聴いていた。
少女は先生からかつて渡された願い事の叶うチョークを持ち歩いてはいたが、自分の精神的な危機には取り敢えず効いたが、他者には効かなかった。
後半から仲間の少年が無残にも追手のギャングに撃ち殺される。
そして連中のボスとの取引の際、スマホをすり替えられたことに気づいたボスにシャイネも撃ち殺される。
彼女の母といい、年少の少年(と彼のトラの縫い包み)もリーダーのシャイネにしても、死んだ後に彼女のもとに現れる。
しかも実際に物理的に状況に働きかけるのだ。
現実よりも確かに。いや彼らが現実なのか。
母の何度も呟く呼び声通りにその男を、殺された母たちの遺体置き場に誘導することとなり、そこに閉じ込めるとすでに死んでいるシャイネが手榴弾(死んだ幼い少年のクマの縫い包みからもらった爆弾)で内側から爆破してしまう。
もうこれは想念界=現実の闘いか。
幻想的ではあるがファンタジーなどと言えない、救いのない重く悲惨な磁場での出来事が描かれている。

ホラー映画として広告が出ているが、現実のメキシコの恐怖の実情を母をある日突然奪われた少女の視座から描いたものであった。
その意味で確かに恐ろしい。
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相変わらず酷い邦題である。
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