シェーン

Shane
1953年
アメリカ
ジョージ・スティーヴンス監督
A・B・ガスリー・Jr.脚本
ジャック・シェーファー原作
アラン・ラッド 、、、シェーン
ヴァン・ヘフリン 、、、ジョー・スターレット
ジーン・アーサー 、、、マリアン・スターレット(妻)
ブランドン・デ・ワイルド 、、、ジョーイ・スターレット(息子)
ウォルター・ジャック・パランス 、、、ウィルソン(早撃ち用心棒)
エミール・メイヤー 、、、ライカー(悪徳牧畜業者)
TVシリーズを見た記憶が微かに残る。
勿論、キャストは違う。
「シェーン、カムバ~ック」は永遠にループするかも知れない。
ワイオミングの高原地帯が舞台。
色彩が思った以上に綺麗でちょっと驚く。
デジタル・リマスターなかなかのもの。
入植者のスターレット家でたまたま食事をご馳走になった縁でしばらくそこに居候するシェーン。
スターレット家をはじめ入植者たちはその一帯を牛耳る牧畜業のライカー一家との土地を巡る確執があった。
(何れにせよ先住民を追い払った土地を俺の土地だと主張し合う関係ではあるが)。
一宿一飯の恩義ではないが、流れ者のシェーンはその間に入り、スターレットたちを守る。
(これも「仁義」か)。
当然守ることは分かってはいても、そこは直ぐに表立って助けるとかはせず、ギリギリまで距離を置いた余所者として振舞う。
こうして気を持たせなければ、ドラマにはならないが、その流れに充分ワクワクできる。
ジョーイ・スターレット少年が、国吉康雄の絵(「オレンジを盗む少年」)から出てきたようなジャガイモのような男の子であることに、まず惹かれた。
何ともプリミティブな開拓少年と謂う風貌なのだ?!
遭って忽ちシェーンに憧れる。
確かに少年時代の理想のモデルは大事だ。
闘いを教えるが、最後に愛を残す。
ジョーイはシェーンの謂う通りの大物になると思う。
ヒーリーが撃ち殺されるときの泥濘がとても気になった。
あそこは、何故あんなに酷い泥濘でなければならなかったのか。
彼がウィルソンに挑発され近づくまで何度もすっころびそうになっている。
不安で躊躇しながらも早撃ちガンマンの前で度胸を見せなければという姿勢をああした状況で演出したのか。
しかしあのへっぴり腰では腕以前の問題ではないか。
自分の逃げだした家に火をつけられることで農民が団結を深めるという心情は分かる気がする。
自らが作ったものを破壊されることで、敵に対する攻撃性が目覚めたのだ。
シェーンのガンマン衣装は妙に面白い。
低予算SF映画の宇宙船クルーの着るようなスーツにも見えた(気のせいか?)
だが、途中で購入して着ていた作業着よりずっと良かった。
いずれにせよアラン・ラッドが見た目、強そうでないところが良い。
ジョー・スターレットをはじめ農民たちは、とてもそれらしい顔つきと仕草であり、グラフトンの酒場にたむろする連中は如何にもチンピラであるし、雇われ早撃ちガンマンはまさにそれらしい風貌で、その世界に入り込めた。
罠と知りつつ独りでライカー一味の待つグラフトンの店に向おうとするジョー・スターレットを止め、身代わりに行くシェーン。
確かに相手にウィルソンがいては、自分が行かなければ勝ち目はない。
ここはどうしても勝たなければ、農民を救えないのは明白であった。
だが(銃撃戦により)闘うことで決着をつけることは、この谷を暴力で支配しようとしていたライカー一味と同じ土俵でケリを付けることを意味する。
しかもジョーイ・スターレット少年の目の前で。
この事後処理はとても大切なものとなろう。
「もう心配ない。この土地から銃は消えた」と彼は少年に語る。
さあ家に帰って、まっすぐな男になれ、と言い残し、彼は留まることを願う少年の言葉にも振り向かずに去って行く。
村を銃によって救った人間はそこに留まることは出来ない。
法によって統治される共同体において、彼はいてはならない存在であった。
これからの平和は彼がいないことで保たれていくのだ。
「血が流れているよ、大丈夫?」「ああ、平気だ」と言って静かに去って行く先が墓地でもあった。
これは暗示的であり、象徴的である。
あの呼びかけと共に永遠に反復する別れである。
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