仁義

Le Cercle Rouge
1970年
フランス、イタリア
ジャン=ピエール・メルヴィル監督・脚本
アラン・ドロン 、、、コレー(出所したばかりの男)
イヴ・モンタン 、、、ジャンセン(スナイパー、元刑事)
ジャン・マリア・ヴォロンテ 、、、ヴォーゲ(逃亡した容疑者)
フランソワ・ペリエ 、、、サンティ(人望あるキャバレーの主、元ギャング)
ブールヴィル 、、、マッティ(警視)
「人は赤い輪の中でいずれ必ず出逢う、、、」という釈迦?の意味深な語りから始まる。
「紅い輪」か、、、。
そして、そろって破滅に向って逝く美学が描かれる。
とても冷ややかな感触が残った。
それにしても仁義とは、、、かつてアランドロンは見事な「サムライ」を演じていた。
そのイメージからか、、、。
だが、確かにジャンセンやヴォーゲそしてサンティには任侠道を感じさせる。
特にジャンセンは日本のやくざの凄腕用心棒みたいな仁義が感じられフランス人とは思えない。(何とも言えない)。
序盤はほとんどセリフらしいものがない。
この辺からして、サムライっぽい。
ニヒルなドロンがここでも見れる。
やはり夜景や夜の室内の多い暗く静謐な映像だ。
容疑者として列車で護送されるヴォーゲがピンを使って敏腕刑事マッティの隙を付き手錠を外して窓を蹴破り逃走する。
模範囚として早く刑期を終わり出所の運びとなったコレーに何と刑務所長が「やま」の話を持ち掛けてくる。
初っ端から、善も悪もないというより、皆悪人というこの映画の基調が窺える。
この「仕事」は、真面目だからお前に任せられるという理屈だ。
もう逆戻りはしたくないというコレーを説得して刑務所長はその「旨い噺」について詳しく説いて聴かせる。
出所後、コレーはかつての仲間リコ(貸しのある仲間)から無理やり金を都合させ、取り敢えず中古車を買い、ドライブインに入る。
ちょうどそこに、逃げおおせて来たヴォーゲがコレーの車のトランクに隠れ潜む。これが運命的な邂逅となる。
コレーは容疑者逃亡のニュースはすでに知っており、彼が自分のトランクに隠れたことも察知していた。
(わざとトランクのカギを開けておいたのだ)。
誰もいない荒れ地で、ヴォーゲと向き合い、たばことライターを彼に投げて渡すところで義兄弟の契りが結ばれたというのか?
何を語るでもなく、相棒となっている。
コレーがせしめた金を奪いに来たリコの手下をヴォーゲが撃ち殺す。
その際に奪われた札束が使い物にならなくなったため、コレーは刑務所長の宝石泥棒を決断したのか。
コレーとヴォーゲに腕利きのスナイパーであるジャンセンが加わる。
これに例の刑務所長と宝石の換金になくてはならぬ故買商の5人で一味を結成することになる。
だが、所長は役をしないし、故買商はリコの配下に下っていた(これが大きい)。
コレーとヴォーゲにジャンセンは盗みの実践において流石にプロという仕事運びを見せる。
特にアル中で身を持ち崩していた(幻覚に悩まされていた)ジャンセンが仕事の依頼できりっとしたパリジャンになってしまうところが凄い。タバコ、帽子、コートが余りにかっこよい。やはりファッションの国である。
そして銃弾を距離と速度(20mで0.05秒)の計算から、鉛、アンチモン、錫の配合比率を決め、手作りする。
弾が鍵穴に溶解して入り込み中で冷えて固まることが条件なのだ。
これが、レーザー光線警備を断ち切るために、作られた銃弾である。
そしてその狙撃の腕前が神業と来ている。プロ中のプロである。しかも着こなしもプロである。ダンディズムの極北か。
ビデオは撮られるにまかせていたが、顔はマスクで覆ってあるためそれは仕方ないとしたか。
しかもジャンセンは最後まで付き合うが分け前は要らないと。彼無しでは成功し得ない仕事であったのに。何だこのカッコよさは。
(アル中から脱することが出来ればよいらしい)。
結局、この悪事を持ち掛けた刑務所長と故買商はコレーを裏切り生き残った。
警察に息子を人質にされた事情通のサンティが警察に協力してしまったために、見事最新警備システムを破り、宝石商から巧みに宝を強奪したコレーたち3人は皆死ぬこととなる。
何と言うか、ここまで完璧に仕事をしておいて、殺されるというのも理不尽な気もしてくる。
周囲の誰もが悪事を重ねており、マッティの上司も誰もが(警察も)悪であるという認識であった。
結局、悪の勢力争いに過ぎないというフラットな世界の冷たい描写か。
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