タリ-と私の秘密の時間

Tully
2018年
アメリカ
ジェイソン・ライトマン監督
ディアブロ・コディ脚本
シャーリーズ・セロン 、、、マーロ(子育てでボロボロの主婦、企業の人事部)
マッケンジー・デイヴィス 、、、タリー(夜間ベビーシッター)
マーク・デュプラス 、、、クレイグ(裕福な兄)
ロン・リヴィングストン 、、、ドリュー(夫、エンジニア)
アッシャー・マイルズ・フォーリカ 、、、ジョナ(長男)
リア・フランクランド 、、、サラ(長女)
「JUNO/ジュノ」の監督+脚本コンビによる映画。なるほど、、、。
シャーリーズ・セロンはあの重い映画でアカデミー主演女優賞を取った役に近い体形に増量しての熱演。なんでも18㎏増やしたとか、、、あまり無理しないで欲しい。わたしは彼女の映画では「イーオン・フラックス」が一番良い。これは誰が何と言っても(爆。
マッケンジー・デイヴィスは「ブレードランナー2049」でマリエッティ役で観ている。それから「オデッセイ」にもNASAのエンジニアで出ていた。とても良い作品に出ている。
マーロは子育てに一切手を抜かずに頑張るが、ジョナの適応障害(自閉症か)もあり、かなりきつい毎日を送っていた。
次の子供が生まれるまで再三、兄夫婦からは夜間専門のベビーシッターを雇うように薦められていたが、他人に自分の子供を預けることは、マーロの主義に反していた。
しかし、三人目が出来て、ついに限界を超える。
余りに大変なので、ほとんど無意識に頼んでしまったようだ(兄夫婦からもらった電話番号から)。

慢性疲労と極度の睡眠不足で異常なハイの状態になってしまう。
その時にベビーシッターが赤ちゃんの世話のみならず、マーロのこころの細やかなケアから、部屋の掃除まで完璧にこなし、見事な仕事をしてくれる。
はじめは若い変わったシッターで気味悪がっていたが、次第に自分のことを何でも打ち明けられるもっとも信頼のおけるパートナーみたいな存在となっている。
タリ-はマーロの知っていて気づかぬ部分を意識させてゆく。
何故か共に暮らしている夫は一度もタリ-本人を見てはいない。
夫のドリューは仕事とサラの勉強は見てくれるが、子育て全般に関してはほとんど無関心なのだ。
マーロがそれを一手に引き受けている。

欧米の家庭(特に裕福層ほど)幼い子供の養育の肝心な部分をベビーシッターとか伯母みたいな存在に委ねる傾向がある。
これはわざわざ言うことではないが、生まれた後の半年間の母親(特定の人間)とのスキンシップ~心臓の鼓動の同期は限りなく重要な意味を持つ。胎外胎生期~生理的早産の生物特有の問題と謂えよう。
3歳までが最重要という人もいるが(それもよく分かる)。
この生育の上で必須の愛着関係が不全であった場合、、、愛着障害と呼ばれる。
生きる上での周囲の環境への適合(無条件に世界を信じられること)だけでなく自らの身体とも折り合いがつかなくなる。
免疫力も低く、病弱となる。
しかし子供であれば、本質的な居心地の悪さを常時抱いていても親の庇護のもと暮らし続ける他ない。
そのような親で、子供に対する想像力が発揮できず、子供を自分を投影し自分を活かす対象としか見ない場合、必然的に子供を通して自分を生きようともする。つまり無意識的搾取である。
子供の人生は内的な空虚と欠落をひたすら埋めんとしてもがくものとなる(それ以外のことはもうほとんどどうでもよくなる)。
根深い自己否定により潜在能力も抑圧され発揮できない、投げやりで無気力な態度が常態となってしまう。
欠如による無意識パタンが反復、フラッシュバックして、違和や不全感、不安、孤独が募り、当たり前に日常を送ることが不可能となって行く。
そのまま思春期に突入すれば、自立や性へのしわ寄せは勿論、不安性の障害や摂食障害、囚われ、依存症が顕著に現れる。自分を何処かで支える為に過度な消費行動に駆り立てられたりもする。物に頼るしかないのだ。
このように愛着障害は第二の遺伝子として働く。
親にとってはその有様~姿が単に子供に対する落胆や失望や怒りしか呼び起こさない。
必然的に叱責や虐待またはネグレクト、過保護で対応するしかなくなる(彼らには全てそれが子供の問題としか映らないからだ)。
生育の過程で段階的に生命にとってあるべき関係が結べないと取り返しはつかない。このことがまだ何故か周知されていない。
更に事態は深みに嵌り、救いようのない断絶した暴力的関係が強固に反復して行く。
こんなパタンは少なくない。
その子供は多くは(医者や専門家に)発達障害と受け取られるが愛着障害と取らねば埒が明かないことの方が多い。
親が決定的に自己対象化能力~内省を欠いている場合、事態は悪化の一途を辿る。
解決策とは言えないが多くの場合、(距離的に離れても意味はない為、精神的に)はっきりと別れるしかない。
今生の別れをその時点ですること。
求めることは不毛でしかないからだ(100億年待ってもまず無理である)。

わたしは、何を騙り始めているのか、、、。
脱線である。
だが、マーロも3人目の子を産んでから暫く意識が脱線していたようだ。
良い意味で、まさにリフレッシュを促すように無意識が助け舟を差し向けたのだろう。
タリーというスーパーエゴであろうか。
最後に車で河に飛び込むまで、全てタリ-が仕組んでいたかのように。
水中でマーメイドのタリ-がマーロのシートベルトを外していたのを見て、ハッキリ分かった。
(実はわたしはそれまでベビーシッターの彼女が奇妙な点はあったにせよ本当にいたと思っていた(笑)。
それで、3番目の娘はずっと彼女が世話をしていたことも分かりホッとした。
恐らく、ジョナもそうして育てたはずだから、発達障害でも(遺伝性のものであれ)このままの愛情で抱擁するなかで次第にコミュニケーションも豊かに取れる関係性が芽生えてゆくはずだ。
河から助け出されてから、夫との関係もとても良いものとなり、生活そのものがこれまでと同様ではあるが質的には遥かに好転して行くのが分かる。
素敵なお母さんであり、憧れる母親像だ。
だが、シャーリーズ・セロンには美しい女戦士みたいなのがやはり一番似合う。
断然、「イーオン・フラックス」だ。
もうこのような無理やり太った役はやめて欲しい。
噺はとても良かった。良い映画であったが。
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