華氏451

Fahrenheit 451
2018年
アメリカ
ラミン・バーラニ監督・脚本
レイ・ブラッドベリ原作
マイケル・B・ジョーダン、、、 ガイ・モンターグ
マイケル・シャノン、、、 ジョン・ビーティ隊長
ソフィア・ブテラ 、、、クラリス
リリー・シン
ディラン・テイラー
だいぶ以前に「華氏451」は観ている。
フランソワ・トリュフォー監督の映画だ。SF色のないSFで、幻想的な美しさが印象に残っている。
リメイクということで、興味をそそられ観てみたが、如何にもTV映画というものであった。
「オムニス」、「サラマンダー」、「イール」、「ナイン」などの道具立て(環境づくり)をして原作制作時にはないデジタルメディア~IT社会に対応した思想(言論)封じの世界を描いている。
本やメディア、ハードディスクを火で燃やすという原始的な儀式はそのまま(象徴的に)残している。
隠れて本を残そうとする者たちを「うなぎ」と呼びそれを捕らえてメディアに火にかける者を「火とかげ」とか言っているが、ちょっと変。
「イール」、「サラマンダー」でないと。
街にはとても毒々しいドギツイ形で本~思想の取り締まりや相互監視の広告の映像を出しているが、そんな殺伐とした光景を表に出さなくとも、もっとスマートで強力な方法があろうに。
現に今だって、似たような状況にあり、いつの間にか「電気グルーブ」のアルバムが消えていたり、、、自主規制等々結構危ない社会であることが、露呈しているではないか。
このわれわれの社会の方が、普段何食わぬ顔をしている分、この映画の物々しい統制社会よりも潜在的で無意識的で恐ろしい。
体制の内面化、あたかもそれが自らの主体的意思によるかのような操作の方があからさまな外圧より強力であり質の悪いものだ。
それにうちの娘を見れば分かるが、ホントにいくら本を買い与えても、スマホやPCにばかりもたれこんで、無尽蔵にある面白動画やゲームなどをひたすら受け身で享受している。
本を薦めているのに、そちらに向おうとしない。
本に関わるには、受け手も相当な主体性と能動性を発揮しなければ太刀打ちできない。
必然的に思考と精神運動を要する。
その体勢が身に付かず、受動的に堕落している現状の方がこの映画より恐ろしいではないか。
何も暴力的に追い立てるまでもない。自ら欲しないのだ。
これでよいのか?(極めて自覚的な教育が必要になってきている)。
これこそ由々しき事態であろう。
文明崩壊が極々自然に進行している。
言語が世界から凄い速度で消滅しているという。
様々な文明が消えているのだ。「多様性」という言葉が実質、死語になってしまうのか。
英語ばかりが益々強大になって行くと、この映画のような一元支配の世界へと重なって行くことになろう。
最後の高い天井に空いた穴から通信機を付けたDNAに本の情報を乗せられた鳥が飛び去って行くところは素敵であった。
ちょっと「ブレードランナー」に対するオマージュを感じるところた。
トワイライトの空には、無数の群がる鳥が飛び回っており、先ほど天空に向け飛び立っていった鳥がその中に混じる。
空を覆うような鳥がやがて仕込まれたDNAを拡散して行き、この硬直した社会を崩壊させるであろう解放感を漂わせて終わる。
終わってみると、これはこれでよい映画にも思えるが、、、。

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