祈りの幕が下りる時

2017年
福澤克雄 監督
李正美 脚本
東野圭吾 原作『祈りの幕が下りる時』
阿部寛、、、加賀恭一郎 (刑事)
松嶋菜々子、、、浅居博美 (舞台演出家)
溝端淳平、、、松宮脩平 (恭一郎の相棒刑事)
小日向文世、、、浅居忠雄 (博美 の父)
山﨑努、、、加賀隆正 (恭一郎の父)
桜田ひより、、、浅居博美(14歳)
伊藤蘭、、、田島百合子(恭一郎の母)
わたしは、このような映画(TVの2時間刑事ドラマみたいなもの)は苦手だ。
どうも同調できない。
その演出とかに問題があるのではなく、何と言うかこのような詰め込みドラマについてゆけないのだ。
はなしも実はちんぷんかんぷんで共感するとかいうレベルではない。
元々情念渦巻く人間ドラマには生理的嫌悪感が先に立ってしまうのだが、これも例外ではない。
特にマザコンである。
筋や推理をいちいち追う気も起きない。
あまり見たい類の映画ではなく、入り込み難いのだ。
もしかして、このシリーズを前からずっと見ていないと分からないのか、、、
この独特の感触。慣れの問題でもない。
阿部寛繋がりで軽い乗りで見てみようと思ったのが間違い。
Amazonプライムでタダだが。
確かに最初から真面目な顔をしているではないか。
「テルマエ・ロマエⅡ」にするべきだった。
音はつまらなかった。
小日向文世と桜田ひよりの演技が凄かった。
確かに小日向さんはどんな役でも独自の世界観を見せてくれる。
父とはこういうものだと想わせる説得力を生んでしまう。
娘の幸せだけを願う優しくて強い存在。
だが、わたしだったらあのような方向に走るかと我に返って?考えるときっと違う角度で逃げると思う。
恐らくわたしの逃げ方ではドラマチックな悲劇にはならないため、お話にはならない。
(コメディにはなるか?)
若い女優は実力者が多い。
ただ、松嶋菜々子の子供時代には見えなかった。
小日向さん相手のトンネルでの迫真の演技は特筆ものだ。
浜辺美波もうかうかしていられない。
(これ、すでに何処かで書いた(「ミスミソウ」で、、、笑)。
そう、どこかで、この映画が「砂の器」へのオマージュというのを見た。
なるほどねと思った。
その映画はわたしのもっとも苦手な部類の映画である。
それをリスペクトしているのか。
通りで、である。
その映画も音楽がとても酷かった。
ひとつ事件の真相を追う加賀がもう関係するすべての人間を調べ上げたとしたうえで、後に残るのは誰かと自問したところ、それが自分だということに気づく件は、ふと同調した。
夜の街路上に覚束なく立って、車の行き交う危うい雰囲気と共に惹き付けられる絵であった。
父の最期を知る看護婦から聴いた父の真意に打たれ、それが浅居博美の父への洞察~直覚に繋がる点はよく分かった。
犯人を探るということは即ちそうした人間の洞察力の深まりに呼応するものだというところ。
(看護婦が警察の覆面捜査官みたいな役割を果たすというのはどうかと思うが、彼女の介入なしには恐らく博美~忠雄のDNA鑑定の線は出なかったかも)。
12の橋を父娘の密会の場所とするのも面白いアイデアである。別々に携帯をかけているように見えるところが絵としても良い。
ホテルは確かにまずい。博美はもう有名人で顔が一般に売れているのだし、直ぐにマスコミに嗅ぎつかれてしまう。
また、長い期間(ここでは26年間)逃げ続けながら稼ぐ事の出来る職業として全国の原発を回るというのもなるほどと思う着眼だ。
若々しい頃の姿から原発仕事を続けるなかで年老い疲弊してゆく姿を見事に表した小日向の演技力も素晴らしい。
それにしても川べりのビニールハウスで娘が父を絞め殺すまでいかなくても別の解決法があったとは思う。
しかしその流れに同期して彼女は「異聞・曽根崎心中」を演出していたということは、すでにこういう幕引きを予期していたように受け取れもする。
人と謂うのは、恐らくそういうものだ。
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