志乃ちゃんは自分の名前が言えない

2018年
湯浅弘章 監督
押見修造 原作
足立紳 脚本
南沙良、、、大島志乃
蒔田彩珠、、、岡崎加代
萩原利久、、、菊地強
うまく喋れない志乃。うまく唄えない加代。口が勝手に喋り捲る菊地。
その為に孤立する。
皆、当人にとってはのっぴきならない障害をもつ。
主演の2人は14歳であると。

吃音に悩み周囲と距離を置く志乃。
何事にも消極的になってしまう。
担任から積極的に皆に関わり克服するよう頑張れと言われ。
母親は怪しげな催眠術のパンフなど持ち込んで進めてくる。
的外れなケアと忠告。
密かに唄の練習をしている加代を覗き見したことから志乃と加代は音楽を通じて関わり始める。

音痴に悩む加代はミュージシャンが夢。
ギターを弾いて唄いたいが、歌がネックとなる。
志乃は喋れないが、歌は上手い。
ギター加代。ボーカル志乃でデュオグループを組む。
カラオケなどで2人で練習を重ねてゆく。
2人の関係はとても濃密なものとなり、志乃は随分滑らかに喋れるようになってきた。
自転車に2人乗りして走るほど親密になる。
(自転車が走破する風景も饒舌な演出となっていた)。

そして人通りの少ない場所を選んで街頭ライブを敢行する。
最初はえらく緊張するが、これが上手くゆき何度もライブを重ねるうちに、2人に屈託のない笑顔が見られるようになる。
加代から新しい音楽の刺激を受け、志乃はそれをギターに合わせ唄い自らを解放して行く。
とても理想的なパタンが出来てくる。
レパートリーも増えてゆき、高校の文化祭での発表にも手応えを感じるレベルになってゆく。
日常的に2人で燥ぎ回る仲良しの光景もたくさん見られるようになる。
2人にとって最高の時間であり、特に加代は志乃の絶対的存在となっていた。

菊地という異様なテンションの空気の読めないというより、コミュニケーション障害の男子が突然、2人の間に割り込んでくる。
俺もグループに混ぜてと、いつものように一方的にごり押しして来る。
彼もまたクラスではみんなから疎んじられる存在であり、居場所を探していた。
加代は周りに対し志乃ほど自己防衛的ではなく、菊地も受け容れる余裕があった。
しかし志乃は加代との関係は絶対的なものであり、他者の入り込む場所ではない。
だが、加代は菊地を第三項として取り込む姿勢を見せる。
それに勢いづいて菊地が思いっきり纏わりついてくる。
志乃は溜まらず、そこから逃避するしかない。
菊池は志乃にとって何にも代えがたい神聖な場所に土足でズカズカ入り込んできた疫病神に他ならない。

ここで2人の関係は一気に崩れてゆく。
加代は志乃に詩を書くことを勧めオリジナル曲を創ることを提案するが、、、
志乃は学校を休み始め、彼女とのデュオ活動は停止し、菊池と暫く続けてはみたが結局加代は菊地を首にする。
菊地は自分の場所確保もあり、何とか志乃に接触し3人で仲良くグループをやろうと説得するが、志乃は菊池を受け容れない。
この菊池の自己中で独善的なしつこさは、終始ウザい。
中学生の頃、こういう友達とわたしは付き合っていたことがある。
ウザいが面白いので卒業まで長く続いた(笑。
(菊池は絶えず誰かにすがり自己承認を得たいタイプの人間なのだ。自分一人で何かにコツコツ取り組む人格ではない)。
だが彼は2人がやろうとしていることの価値をしっかり見抜き、その可能性に惹かれて自分もその渦中にいたいという願いから絡んでいたとも謂える。
実際、タンバリンしかできないが、音楽的に求める方向性は加代と重なっている部分があった。
(つまりは、無意識的に求めるレベルが近いということも意味する)。
ニルヴァーナやダイナソーJrの趣味が合い、音楽的趣向ですんなり話が合うのだ。
しかしこれでは、志乃は置いてけぼりではないか。これまでに2人で築いてきたものはどうなるのか。
これほど苦しい立場はなかろう。
居た堪れないのは当然である。

苦しんだ末、志乃はデュオを辞める。
加代はそれを呑み込み、独りで活動を続行する。
自分独りで曲を書き、弾き語りで文化祭のステージに立つことになる。
加代は音痴なのだ。こちらまでがとても心細くなる。
志乃は体育館のそばで耳を澄まして聴いている。
しかしその不安定な音程のボーカルの力強く捻じれたサウンドが歌詞と相まって充分にひとのこころを掴む。
拍手喝采とはまた別のインパクトを齎す。
(異質な力に出逢った時、ひとは暫し無言で呆然となる)。

2人の主演女優は凄かった。
恋愛ものでも何でも良いが、やるんならこれくらいやって欲しい。
生々しく真に迫った文句なしの演技であった。
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