静寂の森の凍えた姉妹

Grimmd
2016年
アイスランド
アントン・シグルズソン監督・脚本
マルグレート・ビルヒャムズドッテイル、、、エッダ(刑事)
スベイン・オラフル・グンナルソン、、、ヨイ(エッダの相棒)
ピエトゥル・オスカル・シグルドソン、、、アンドリ(エッダの弟、犯罪歴アリ)
ハンネス・オリ・アウグゥスソン、、、マグニ(犯罪歴ある知的障碍者)
暗い雪の中を歩いているうちにゆっくり睡魔に襲われるみたいな映画だった。
どんよりと寒々とした空の下で夢と現が混濁する感覚。
誰もが過去の記憶に繋がれ、過去の悪夢を呼び覚まされ、その悪夢を生きる。
病的に不気味に極めて曖昧に、事件を巡る物語は進行する。

惨殺された二人の娘の母親は何故、娘の日記の犯人の特定に繋がる重要な部分を破りとってしまったのか。
娘の体に見られたという虐待の跡は誰によるものなのか。
夜の捜査中にエッダを襲った男は何者だったのか。
エッダは何故、アリバイがあるにも関わらず執拗に、犯罪歴を持つあの男に固執していたのか。
そもそも何故、その姉妹は森の中の目立つ道に抱き合うように寝かされ死んでいたのか~殺害されたのか。
警察がマグニに虚偽の自白をさせて濡れ衣を着せるが、こんな杜撰なやりかたが、ここでは通っているのか。
被害者の母に今度はお前を殺すという文字を切り貼りした、よくある脅迫状を送ったのもマグニの仕業と警察は決めつけたが、後に少年が愉快犯でやったことと分かる。しかしマグ二は自白した。それを絶対の決め手としている。
(白いバンを運転する男が容疑者なのに、車の運転の出来ない彼に罪を着せて、裁判で通るはずがない。)
目撃情報が曖昧なのは当然であり、目撃者の主観・先入観・思い込み・意図が入るのは当たり前だが、カップルでこれだけ情報に齟齬が生じるのは、何故なのか。ことによると犯人は複数か。
同僚たちに襲われ重傷を負ったアンドリのツートンカラーのスタジャンをエッダが目にして震撼するが、まさに目撃情報のスタジャンと同じ形であるにせよ誰でも着るようなものだが、あれで彼女は犯人を弟と断定したのか。
最後の弟が冷血な殺人犯の様相で二人の少女を連れ出すシーンはエッダの想像なのか、まさにその時の光景なのか。
確かに弟は白いバンを最近乗り回し、殺された姉妹に呼ばせていた「ライオン」というニックネームの根拠になり得る獅子座であった。が、それだけでは些か弱い。この光景が実際の光景なのかどうかで大きく異なるものだ。
彼は警察での取り調べでは全く何も語っていない~自白はしていない。

北欧の怪しげな雪景色のなかで、過去に傷を持つ人々が次々と容疑者として挙げられ、エッダに執拗に怪しまれ続けて来た男はついに抗議の自殺をしてしまい、知的障害を持つマグニを、自白は誘導尋問であり当然冤罪であるが、犯人に仕立て事件終結を警察はプレスに宣言する。
エッダはそれに対し強い反発を示す。
そして彼女は、真犯人は過去の犯罪歴から同僚に疎まれ暴行を受け今現在意識不明に陥っている弟だと直覚し慄く。
結局みんなから怪しまれ排撃され酷い目に遭いつつも必死に耐えて来た弟が真犯人で終わるのか。
だが、終始この映画では何が確かなのか、登場人物全てが怪しく、やっていることも回収もされず曖昧なまま淡々と運んでゆく。
寧ろ、これが現実に近い光景なのかも知れない。
(あの警察の杜撰さはないが。それともアイスランドがこのような状況なのか?)

よくあるこの手の犯罪劇(猟奇殺人)では、ずっと怪しまれている男がいて酷い目に遭ったりしながらも物語は進行して行き、最後の最後で、事件の捜査に率先して臨んでいる、とても真面目で模範的な警官が真犯人であったとかいうパタンがあるが。
ただこういう映画では、最終的にこちらがすっきり納得する明瞭な輪郭を物語に与えてゆく。
犯人の背景やそのパーソナリティ、彼なりの動機なども描かれ、意外であったが取り敢えず腑に落ちる形では結ばれるものだ。
(途中で大概、この手のものだと想定出来てしまうにせよ)。
この映画はそれぞれの人物の心象はエッダも含め、ほとんどはっきりしない。
だがはっきりしないのが普通である。
別にミステリーではない。
アイスランドの街の光景が独特の解像度をもつ映画であった。

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