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GOMA28

Author:GOMA28
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そして人生はつづく

Life and Nothing More001

Zendegi digar hich  Life, and Nothing More...
1991年
イラン

アッバス・キアロスタミ監督・脚本

ファルハッド・ケラドマンド、、、アッバス・キアロスタミ監督
プーヤ・パイヴァール、、、プヤ(監督の息子)


とってもドキュメンタリー調である。
しかしドキュメンタリーでは全くない。
出演者もわざととぼけているのか、素人風に演じているのか、、、観るほどに怪しい作品である。
相当に曲者の監督である。

イラン北部を襲った大地震(1990年)で30,000人以上が死亡した。
キアロスタミ監督と息子プヤが映画「友だちの家はどこ?」に出演した少年の安否を確認しに現地に車で赴く噺である。
街道沿いに観る被害状況はかなり凄惨で深刻に見える。
大きな落石に圧し潰された車などが散見され、原形を留めない家屋の残骸を片付けている人や跡地に座り呆然としている人など、、、生々しい。
(セメントではなく泥と日干し煉瓦の住宅である。ひとたまりもなかった模様だ)。
これもどこまで作っているのか、分からないが。

路も塞がれ交通も渋滞しているが、どうにかなるさと脇道に入って行く。
黄色い非力なオンボロ車プジョー?でとことこ走る。
道行く人にコケールの被害状況を訪ねるがそこに繋がる道が寸断されているため誰にも分からない。
(自分たちの避難生活のことで一杯であり、他人事どころではないのだ)。
悪路をや急坂を踏破してゆかねばならぬ為、「その車では到底無理」と皆が口を揃えて忠告する。
しかし監督は「どうにかなるさ」と必ず呟く。
息子が後部座席から「この道で大丈夫?」と聞くと「道はどこかに続いている」と返す。
そして人生はつづくのだ、、、

終始、この調子で続く(笑。

ここでもジグザグ道をエンジンを吹かして昇り降りして行くことになる。
ロングショットで観ると、ユーモアとペーソスに溢れる、まさに人生そのものに思えてくる、、、。
結局、脇道に逸れながら走ってゆくうちに、どうにかなっている。
思わず自分の人生をそこに重ね合わせてしまった(爆。
嘘である。
ただ、こうして遠目に眺めてみるとコミカルだ。
物悲しいほどにコミカルだ。

ともかく、道を聴く人の誰もが家族や親族を何人も亡くしている。
例外なく親しい誰かが犠牲となっている。
次作「オリーブの林をぬけて」にメインキャストで出てくる震災の翌日挙式をあげた(という設定の)若い男性は、親族合わせて65人を亡くしたと言わされている。実際彼の親族で犠牲となったのは総勢25人だそうだが(それでも大変なことだ。そもそも数の問題ではない)。
にも拘わらず、このカラッとした前向きな姿勢は何か?
死んだ人は死んだ人、今生きているわれわれは生を愉しまなくちゃ。だって、次の地震で今度は自分が死ぬかもしれないじゃないか。
この乾いた土地柄もあろうが、彼らの培ってきたしたたかな哲学であろう。

道々で、映画のパンフを見せ、この子知ってると聞くと、誰もが映画に出てたあの子でしょと答えるのにも驚く。
物のない単調でしんどい生活を強いられているのかと思っていたら「友だちのうちはどこ?」を皆見ているのだ!
それにコケールとポシュテの住民はちょい役も含めかなりの人数が映画にちゃっかり参加している。
皆素人みたいな顔をして、実際素人ではあるが、素人っぽい演技をしたたかにしていた。

面白かったのは、「友だちのうちはどこ?」で終盤登場した扉職人の老人である。
この災害で家が壊れなかったのはわしのところだけだ、何故神様はわしの家だけ壊さなかったのだろう、、、などとセリフを語った後、この家はわしの家ではなく、この映画でわしの家とされているだけなんだがな、、、わしの家は壊れてしもうたと普通にバラしている。
そう「映画」なのである。
なんでもありなのだ。ここでドキュメンタリーフィルムを観ているような感じになっていた視聴者は水をかけられたような気持になるかも。内容と謂うより形式を解体するようなことを、敢えて意図的にしてくる。挑戦的というか戦略的というか。
思い出したが、ピエール・ド・マンディアルクが小説「大理石」で随分と硬質なめくるめくイメージの世界を堅牢に構築した、まっただなかで、主人公にこれは小説であると敢えてぶちまけて来た時の感じにも似ている。
この監督相当なものだ。

Life and Nothing More002

それに劇中の監督であるが、家が跡かたなく潰れてしまい、親族を何人も亡くしてテントに寝泊まりしている娘が皿を大量に洗っている水場にやって来て、君の兄弟が地震で亡くなった時の事を教えてくれとしつこくせがむのだ。
まだ10代前半くらいの彼女がPTSDであったら(少なからずその可能性はある)どうするのか。
この男は、他の少年にも兄弟がどういう風に死んだかを細かく聴いている。

最後の方で、テント村みたいになった場所で賑やかな歓声が聞こえる。
アンテナを遠くで立てているのだ。
ワールドカップのサッカーの試合が是が非でも見たいのだ。
この監督が何でこんなときにそんなにサッカーの試合が見たいのかね、と一生懸命アンテナを設置している青年に問うと「ワールドカップは4年に一度、地震は40年ぶりでしょ。観れるときに見ておかないと」今愉しめるものはとことん、愉しもうという姿勢が良く分かる。
そして彼が言うには20分前に探しているアハマッドが弟と一緒にストーブを持ってここを通ったよ、ということだった。
すぐにポンコツを走らせその方向に進むと、まさに二人の少年がストーブを持って歩いている。
しかし彼らは別人であった。車に乗せ彼らと語り合うが、例外なく身内の誰かが死んでおり、少年は蚊に刺されて母のところに向かったために助かり、兄は先ほどまで少年がいたところで瓦礫の下敷きとなっていたという。
彼らも例の映画はしっかり見ている。しかも片方の少年は映画に出ていた。
(他にも映画に出ていた少年に監督は出逢っており、成長したことを感慨深く語っている)。

コケールはどっちだね、彼らを下ろすときに聞くと、この車だとフルスピードで坂を登るしかないということだ。坂は3つあるという。
監督はフルスピードで駆け上がる。途中で乗せてくれと叫ぶ男がいたがそれどころではない。
カメラは上空にうんと離れてロングショットで小さな車を追う。
坂を青息吐息で登る黄色い車。
だがしかし途中でエンストか、ズリズリ後ずさりして遂に止まってしまう。
その時、遠くの峰を眺めると兄弟でストーブを運ぶ少年のシルエットが目に入る。
そこへ先ほど声をかけた男がやって来て、車を押して走らせる。
車は諦めたように来た道を帰って行く。
男はそのまま荷物を担いで急坂を歩いてゆく。
すると先ほど戻ったかに見えた監督の車が猛ダッシュで勢いをつけて駆け上がって来るではないか。
今度はその男を乗せ、坂をまた駆け登って行く。
ヴィヴァルディが実に爽やかに絡む。

相変わらずの演出に乗せられる。




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