花筐

HANAGATAMI
2017年
大林宣彦 監督・脚本
檀一雄『花筐』原作
竹内公一 美術監督
三本木久城 撮影監督
山下康介 音楽
窪塚俊介 、、、榊山俊彦(僕、17歳の学生)
満島真之介 、、、鵜飼(友人、17歳の学生)
長塚圭史 、、、吉良(友人、17歳の学生)
柄本時生 、、、阿蘇(友人、17歳の学生)
矢作穂香 、、、江馬美那(従妹)
山崎紘菜 、、、あきね(美那と同級の親友、老舗豆腐屋の娘)
門脇麦 、、、千歳(美那と同級の親友、吉良の従妹)
常盤貴子 、、、江馬圭子(叔母)
村田雄浩 、、、山内教授
武田鉄矢 、、、一条医師
入江若葉 、、、江馬家の婆や
大林宣彦監督最後の作品として、凝縮された想いを感じる仕上げになっている。
とてもアヴァンギャルドで濃密な様式美に統一され郷愁を抱かせるものだ。
(趣味的な小道具も満載で趣味的な匂いもプンプンする、、、レコード盤に等)。
169分が長くは感じなかった。細かいカットにトランジション(前半:ワイプ、後半:ディゾルブ)が多用され、ぎらつく極彩色の絵~空間にバッハの無伴奏ソナタが響く。
それぞれのキャラクターが劇画調にデフォルメされて単純化されアクも強く(年齢不詳で)、チェロや笛やハーモニカやら太鼓やら色々音も鳴り響き(鳴りっぱなしか)音の重なり、それぞれのキャラの反復する特異なフレーズに奇怪な画像合成による景観更にに血のメタファーと謂い、一時も目が離せない(いそうでまずいない各キャラクターにも惹き付けられる)。
箱庭のなかでの人形劇みたいなアーティフィシャルなエロティシズムと死が匂いたつ。
観ることの快感が味わえる眩暈を愉しむ映画だ。
佐賀県唐津市が舞台という。ホントか?
書割の夜の海に浮かぶ島影と謂い、呑み込まれるような大きな月に、吸い寄せるように誘惑する岬、、、。
江馬美那の喀血とバラの真っ赤な花弁の繰り返されるイメージ。
和洋折衷の館。医者の乗るイギリス製の古い自転車。ターンテーブルに乗った怪しいレコード、、、”nosuferatsu”。
千歳の二眼レフカメラ?は江馬美那の果敢なげな美を、吉良の望遠鏡はあり得ないアーティフィシャルな絵を切り取る。
祭では、あんなに沢山の(14種類もの)山車が繰り出すのか?
やはりどこか特異な場の出来事に想える。
そこに戦争の足音が聞こえ、17歳の学生たちは色めき立つ。

戦争がひょんな切っ掛けで始まってしまうことも熟知している脚の不自由な吉良。
(流石酒を呑み煙草を吹かす17歳学生である。面構えからして違う)。
だが、その戦争もどこの世界の戦争なのか。
ただし、その「戦争」(美那や義姉の圭子や吉良にとっては加えて「病」)という概念が彼らの生の自由を奪い生そのものも奪い去る死を際立たせる装置として作動し始める。
思わず飛び込む死臭の立ち込めるバーで、思いっきり酒を煽る鵜飼と榊山。
戦地に運ばれる馬に裸でまたがり浜辺を疾走して、その馬を解き放つ二人。
文学青年たちが、生と死を受け渡すことを拒否する身振りを始める。
本当に招集令状の届く身近な者~山内教授などが現れ、戦争が現実味を増す。
そして彼らは、死と恋愛と奇妙な友情の間で、殺される前に自ら命を絶って行く。
肺を病む美那も彼女を預かり守って来た圭子も亡くなる。
独り語り部である榊山俊彦が生き残る。
厳密に言えば、あきねも生き残ったのだろうが、忘れ去られた戦後の一般的民衆のひとりとなっていたのだろう。
戦争はそうやって忘却される。

叔母の江馬圭子の存在は両義性をもった女のイメージが強く打ち出されており、恋愛と死のイメージに彼らをくるみ込んでゆく。
パーティ、ピクニック、食卓の集いを重ねてゆくうち、彼女を中心にめくるけく、誰と誰が愛し合っているのか判然としなくなる、、、。
彼女自身、文字通りエロスとタナトスを体現している。
榊山俊彦は精神的な幼さを殊更強調するが何故なのか意味不明。
喘息持ちの阿蘇はそこに更に道化的要素が加わる。ゆで卵が彼ほど似合う人もいない。
アポロンのような精悍な鵜飼は、しかし思ったほど硬派ではなく、榊山と打ち解け一緒に遊びまくる。
これは少し意外であった。
やはり極めつけは、吉良である。
いちいち文学的なセリフで決めるが、その風貌と姿や仕草から虚無僧のニヒルさは、一貫していた。
こんな17歳いるだろうか。いや、昔はいたかも知れない。
あきねの素直で明るい元気さがここにあっては新鮮に思える。
人工的な照明の下、それぞれの生の一瞬の煌めきと果敢なさが甘味に綴られていた。
仮面ライダーで見てから随分久しぶりの矢作穂香(未来 穂香)は、しっかりヒロイン女優になっている。
これなら、かの浜辺美波にも対抗できるか、、、それくらいピッタリ役柄に嵌っていた。

大林宣彦監督がやりたいことを思いっきり詰め込んだ感のある、見どころ満載の大変濃厚な映画であった。
このように見るのが楽しいと感じられる映画に出逢うことは、余りないものだ。

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