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GOMA28

Author:GOMA28
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ゴッホ 最期の手紙

Loving Vincent001

Loving Vincent
2017年
ポーランド・イギリス・アメリカ

ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン監督
ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン、ヤツェク・デネル脚本
クリント・マンセル音楽

声と演技:
ロベルト・グラチーク、、、フィンセント・ファン・ゴッホ
ダグラス・ブース、、、アルマン・ルーラン(ゴッホ最期の手紙を託される青年)
ジェローム・フリン、、、ポール・ガシェ(ゴッホの主治医)
シアーシャ・ローナン、、、マルグリット・ガシェ(ポールの娘)
ヘレン・マックロリー、、、ルイーズ・シュヴァリエ(宿屋の娘)
クリス・オダウド、、、ジョゼフ・ルーラン (アルマンの父、郵便局長)
ジョン・セッションズ、、、タンギー爺さん(画材商)
エレノア・トムリンソン、、、アドリアーヌ・ラヴー (ガシェ家の家政婦)
エイダン・ターナー、、、貸しボート屋


「われわれは自分たちの絵によってしか語れない」
という冒頭のゴッホのことばから始まる。
文字通り、「絵」が語り始めるのには驚愕である。

大変な労作アニメーションだ。
こちらの見方としてではあるが、通常の映画からは考えられない大変な情報量に晒される。
流して見れる場面など何処にもない。
しかもリズムと流れがよく、モダンな作りで観やすかった。
(これで晦渋な作りであったらかなり厳しいか)。

(わたしにとって)初めて見る表現形式だ。
ゴッホの絵の世界がアニメーションとして動き、物語るのである。
(回想のシーンはモノトーンとなる)。
途方もなく挑戦的だ。
贅沢極まりない経験だ。
途中ポーズして眺めながらの鑑賞となった。

更に絵だけでなく物語としての踏み込み方も素晴らしい。
ゴッホの出した最期の手紙を発端に彼の謎の自殺の真相に迫るものである。
脚本にも感心した。
この映画は吹き替えで観るに限る。山田孝之の吹き替えがとてもカッコよい。
文字など追っている余裕はないとは言え、ちゃんと筋を追う必要がある。スリリングで面白いのだ。

ゴッホが死んだ翌年、1891年アルルに始まる。
アルマン・ルーランがゴッホの出し忘れの手紙を遺族に届けにゆくよう父に頼まれる。
「親しい相手が生前自分宛てに書いてくれた手紙があったら読みたいだろ」と諭され渋々承諾する。
しかしテオはすでに他界しており、他に手紙を託す人を訪ね彼の旅は継続する。
彼はオーヴェールに赴き、彼のことを聞いて歩くなかでゴッホと言う人間に深く魅せられてゆく。
そしてゴッホは自殺で死んだのではなかったことを知る。

Loving Vincent002

ゴッホは死ぬ6週間前に完全に冷静で落ち着いているという趣旨の手紙をジョゼフに送っている。
他の者も彼は幸せそうで充実した様子だったと。調子は至って良かったのだ。
そして自らも芸術家である主治医ポール・ガシェは、彼が天才画家として認められる兆しも見ていた。
そんな矢先である。

他の医者で、彼が距離を持って誰かに撃たれたと証言する者もいる。
低い位置からゴッホの腹部を狙ったと。
自分では到底撃てない角度であり、そもそも自殺するなら人はこめかみか口に銃口を咥えるはずだと言う。
もっともである。
筆まめな彼が遺書も残さず自殺するとは考えられない。少なくとも何らかの言葉をテオに残すはず。
「ふたつのこころ、ひとつの精神」と自分たちのことを呼んでいたくらいだ。

Loving Vincent06

ゴッホが誰かをかばってこれは自殺だと言い、真相を闇に葬ったことは確かだ。そして彼は宿のベッドで二日後に息を引き取る。
何という人だ。
もし絵が売れていて、テオに経済的圧迫をかけていなければ、こんな死に方はしなかっただろう。そしてテオが心労から兄の後を追うように衰弱して死ぬこともなかったはずだ。
何故、生前にあれほどの絵が売れなかったのか?
主治医は彼の死後飾ってあった絵を勝手に持ち帰ってしまうが(それなら生前に購入したらどうか)。

朝9時から5時まで雨が降ろうと暑かろうと規則正しく絵を描きに行き、夜は弟のテオ宛に長い手紙を書き綴る。
まるで宗教者~行者のような生活である。言葉の真の意味においての宗教的な人間である。
であるから俗物たちから排斥されるのだ。
特に耳を切り落としてからの風当たりは凄まじかった。
苦悩~病のもがきを禍々しい狂気としか捉えぬ連中である。
ゴッホにしても、ゴーギャンを親代わりには到底できないことは悟るべきであった。
芸術的な面での良きライバルであっても、それ以上の存在にはなれない。

Loving Vincent003

この彼の孤独はどこから来ているのか。
画材商のタンギー爺さんの語る、テオから聞いたのだろう、噺が示唆的である。
彼は幼いころから家族には馴染めず大変な心労を味わって育ったそうである。
何と彼には死産した兄フィンセントがいた。
両親にとってはそちらが本当のフィンセントであり、生きているフィンセントではなかったのだ。
これはダリと全く同様のパタンではないか!
彼の根本的な生き難さはここに起因するのだろう。
ただし彼には希望があった。
テオという絶対的な存在=味方がいたのだ。
それで何とか苦難にも立ち向かえたのだが、モネからアンデパンダンで「輝ける星」とまで評価されながらも絵は売れず、テオ一家の経済的な負担を益々大きくするばかりであった。彼は人に撃たれたにせよ、それは彼自身の望んだことであったかもしれぬ。

アルマン・ルーランの洞察は的を得ている。
警察官に後になるが、適任であろう。

Loving Vincent005

油絵ですべてを繋いだという。セル画ではなく油絵であり、その枚数は62,450枚にのぼる。
1秒12枚の動画である。部分を描いて重ね合わせるのではなく、背景まで全てを描くのだ。
作画に動員された画家は125人だそうだ。
アニメーターではない。画家である。
途中でノイローゼになる者はいなかったのか。
俳優が実演した実写をもとに油絵でアニメーション化したもので、ゴッホの肖像画に登場した人物に似た俳優が選ばれている。ホントにそっくりなので感心する。

製作に7年というのも頷けるものだが。
どうなのだろう。写真画像を油絵風に加工するアプリがあるが、それの高度なものなら油絵を実際に描かずに同等の効果は得られないだろうか?コスパ的にも製作時間も詰められる気はするが。
わたしなら迷わずコンピュータパワー&アプリケーションに頼ると思う。


ゴッホをより深く見る機会になった映画であった。
何を置いてもまず生きることは描くことであった人だ。
彼はもっと愛されるべき人間であった、と アルマン・ルーランも呟いていたが、まったく同感である。
周りの誰よりも真摯に物事に接する、品格のある求道者であった事は確かだ。

周りの人間の見る目があのように様々〜多くは酷いものであったが、ピストルで撃たれた(自殺とされた)件についてもその現場状況の認識が人によってまるで違うというのも、ゴッホの最期を有耶無耶にし、ひいてはゴッホ像を禍々しく脚色する余地を与えている。

ただし、彼が自ら死を選んだ事は間違っていないと思う。
それは余りに哀しい。



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COMMENT

おはようございます☆

時折ポーズしながら観ることができるのは
映画館でのそれに比した大きなメリットですよね。

自ら信じる絵画の実現をしても
なかなか得られない理解
心理的にも一般人が求める承認欲求より遥かに挫折感が大きいのかと拝察される上
救いになるはずの自己肯定感も
お兄さまのお名前を与えられることによる生い立ちを慮れば
その心の懊悩はいかばかりだったのかと
胸が痛みますゆえまた
テオの存在に、彼の絵画に勇気をもらう私まで
感謝の気持ちでいっぱいになるのです。
そうしたゴッホでなくば
こうした映像作品は、生まれては来なかったものでしょう。
これだけ壮大な映画レビューBLOGを構築されているGOMAさまの理念は製作陣のそれと重なり私の心も揺さぶります。

おはようございます☆彡

いつもありがとうございます。

> これだけ壮大な映画レビューBLOGを構築されているGOMAさまの理念は製作陣のそれと重なり私の心も揺さぶります。

製作陣の理念に共振できないことも少なくないですが、何故かやり始めてしまったからか、続けている次第です。
わたしの場合、映画をきっかけに自分の好きなこと(問題視していること)を喋る感覚だと思います。
所謂、映画評からはかなり逸脱しているはずです。
映画自体、好きでもありませんし、その映画を観ようと思っている人に対する配慮は全くしていません。

ただ、考え、感性の共有の出来るひとに響くことが歓びでやっているのかも知れません。
本当のところ、何で自分がブログを書いているのか、よく分からないのです。
洪水のように押し寄せる情報に呑まれながらも自分なりのアウトプットをせざるを得ない心的・生理的状況のひとつの過程でしょうか。
生きていくうえで今のところ必須の代謝装置になっている気がします(笑。


それに対するこころあるコメントはとても救いになります。
栄養剤というか、マラソンの給水所のドリンクみたいに感じます。
いつもながら(内容のみならず)SAKI様の心地よい文体のリズムに癒されます。
ほっとします。美味しい紅茶を飲みながら良い音楽を聴いた時みたいに。

今後とも宜しくお願いします。

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