アデル ブルーは熱い色

La vie d'Adele ? Chapitres 1 et 2 / Blue Is the Warmest Colour
2013年
フランス
アブデラティフ・ケシシュ監督・脚本
ガリア・ラクロワ脚本
ジュリー・マロ『ブルーは熱い色』原作
アデル・エグザルホプロス、、、アデル(教師)
レア・セドゥ、、、エマ(画家)
何と言うかドキュメンタリーを観るような感覚で浸ってしまった。
とてもセリフや仕草が自然でしかも長回しである。
しかも近い。接写が多い。
BGMもない。
ひとつのシーンを丁寧に漂うように描写する時間のかけ方がハリウッド映画とは異質のものだ。
擦れ違いざまに一目惚れするさり気無いシーンの何と饒舌なことか。
ドラマチックな演出がないところで、内容自体の痛々しいひりつく感情の動きがダイレクトに刺ささってくる。
長い尺の大半を苦しさが充満している。
恋愛とはこれほど苦しいものなのだ。
彼女らお互いが、若くて前向きで力強い分、これほどに激しく辛い。
こちらも辛い。
(特にアデルには同情してしまった)。
これはわたしにとって、かなりハードな映画であった。
主演二人の女優のとってもリアルな熱演。
なりきるとはこういうものか、、、という。
(双方アプローチの仕方は違うにせよ)。
この生~性そのものを曝け出す生の演技が、鬼気迫るものであった。
これは性描写に限らずとても多くみられる食べるシーンに如実に窺える。
余りに生々しい食べ方なのだ(特にアデル)。
赤ん坊が食べるときみたいな食べ方だし、喜怒哀楽そのものもとても初期を思わせる。そう、眠っているときのあの無意識そのものと謂った口を開けた無防備な表情、、、。
監督はこの水準まで要求したのか。
美人女優が涙と鼻水まみれで口の周りにはパスタソースがくっついて生々しい生が語られてゆく。
生理的~身体レベルで共振する映画だ。
そしてわたしは、アデルにもエマにもとても共感する。
アデルの弱さに流されつつも自分に誠実に生きようとする一生懸命さが好きだ。
エマの哲学的、芸術至上主義的な生き方には憧れる。
そして一度は愛し合ったにも関わらず元には決して戻れない。
そういうものだ、ということをはっきりと悟って、アデルはエマの個展会場を後にする。
独り煙草を燻らせて足早に歩み去る姿にそれまでの自分に決別する意志が滲む。
しかし彼女はこれから先どうするんだろう、という心細さを感じる。
少なくとも晴れやかな解放感や展望など微塵も感じない。
わたしは最近、大の苦手の恋愛映画を結構観るようになった。
考えてみれば、これもわたしにとってSFなのだ。
この完全版はレンタルより10分ほど長い約3時間のものです。
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