パシフィック・リム: アップライジング

Pacific Rim: Uprising
2018年
アメリカ
スティーヴン・S・デナイト監督
ギレルモ・デル・トロは製作にまわる。
ジョン・ボイエガ 、、、ジェイク・ペントコスト
スコット・イーストウッド 、、、ネイト・ランバート
ケイリー・スピーニー 、、、アマーラ・ナマーニ
菊地凛子 、、、森マコ
ジン・ティエン 、、、リーウェン・シャオ
バーン・ゴーマン 、、、ハーマン・ゴットリーブ博士
アドリア・アルホナ 、、、ジュールス・レジェス
チャーリー・デイ 、、、ニュートン・ガイズラー博士
マックス・チャン 、、、チュアン司令官
大傑作”パシフィック・リム”の続編。
だが、監督が違う。
ギレルモ・デル・トロ監督の"パシフィック・リム"はリドリー・スコット監督の”エイリアン”に比較出来る荘厳さ、神々しさがあった。
しかし同じイェーガーが登場し、ストーリー上もしっかり引き継いでいるのだが、こちらは似て非なるものなのだ。
日曜日の午前にやってる戦隊もののゴージャス版に思えてくる。
やはりこうなってしまうか、、、。
何と言うか、「場所」が違うのだ。
"パシフィック・リム"世界特有の時空~重力が創出されていない。
そんな印象が最後まで続いた。
前回、この戦いに終止符を打った英雄ペントコスト司令官の実子ジェイクのノリが、お子様戦隊のテンションなのである。
この芸風ウィル・スミスの流れか(悪いとかいうものではない)。
二人の博士と共に前回から出ている森マコは前半であっさり死んでしまう。
優秀なパイロットから今は環太平洋防衛軍の事務総長になっているのに、もう少し活躍の場が欲しい。
ジェイクをジプシー・アベンジャーのパイロットにし、教官として奮起させるための存在~役割にとどまった。

”パシフィック・リム:”では、夜の海上での闘いなど幻想的ですらあるどこか神話を想わせるシーンで占められていた。
単に夜(の海)が巨大ロボットとカイジュウの闘う場として効果的という小手先のものではなく、監督の世界観~仮想空間にどっぷり漬かれる場として結果的にあのような空間も導き出されたのだろう。
今回は真昼の闘いである。真昼というだけでなく、眩しく煌めく氷上の闘いなど特筆もののシーンもあるが、市街地であんな巨体同士が相見えるところは、日本の子供は既視感いっぱいであるに違いない。
動きの方は大変機敏で「戦隊もの」など寄せ付けないクオリティとはいえ、逆に軽さが気になる。
初めてのハリウッド版ゴジラを観て誰もが椅子から転げ落ちた時ほどではないとは言え。
(その後のギャレス・エドワーズ監督の荘厳なゴジラには敬服したこと、付け加えておきたい)。
だいたい孤児の女の子が最新鋭工場設備のないところで、独りでイェーガーのスクラップ集めて”スクラッパー”を手作りしてしまうって、それはないでしょ。しかもそれをいつの間にか(ホントに短時間に)リーウェンが遠隔操作の無人機に改造して最後の最後にここぞというときに主人公たちを救うとくる。余りに出来過ぎの噺の一つであるが、そういうところは全体に少なくない。
とはいえレア・アースを求めるメガ・カイジュウと富士山で闘うシーンは度肝を抜く荒唐無稽な迫力のあるものであった。
(東京から富士山まであっという間に移動していたが)。
白昼の決闘でこれだけ魅せる力技は日本の怪獣映画にもなかなかないものだ。
森マコのラストメッセージで飛んだシベリアの氷河の果てでの敵イェーガーとの一騎打ちもかなり壮絶で美しいものであったが。
そうであっても、やはり「戦隊もの」のゴージャス版の感は拭えない。
新しい要素として、イェーガーに有機生命体が融合して敵対してくる点がある。
『新世紀エヴァンゲリオン』の内臓的なドロッとした味付けに感じられるものだ。だが、その辺の描写もあっさりしている。
ディテールの追及が足りない。
キャストの背景のドラマが余りにありきたりというのもどんなものか。

今回の映画は中国資本によって漸く製作のめどがついたというが、中国企業シャオ産業の開発した「ドローン・イェーガー」という優れた無人イェーガーが配備される流れとなっている。その企業のCEOはリーウェン・シャオであり、かなり際立つ存在として活躍する。
(ここのところ中国スポンサーに気を配るハリウッド映画が増えてきている)。
ハーマン、ニュートン両博士は相変わらずコミカルで良い味は出しているが、今回はニュートンの精神に干渉してきたプリカーサーに洗脳された彼が死んだカイジュウの細胞の培養を図り、イェーガーに融合させることを極秘に行っていた。「ドローン・イェーガー」もその餌食にされた。驚いたのは、リーウェンである。自分の会社が疑われたのだ。だが、あっさりその嫌疑も晴れてしまう。
その「暴動」「反乱」はニュートンが仕掛けていたものであったことがハーマンによって直ぐに暴かれる。ニュートンはシャオ産業の主任研究員であることを上手く利用して(意に反して)暗躍していたのだ。
だが、彼は操られているということで、ハーマン博士の配慮で生け捕りにされた。
縛られたニュートンに向かい「お前たちはもう地球に来なくていい。俺たちが行ってやる!」とジェイクが啖呵を切っていたが、続編の予告か?監督は誰がやるのか?ギレルモ、カムバック~!

「相手がどんなに強くても、力を合わせれば必ず勝てる。俺たちはファミリーだ!」
そうなのか!
「ドリフト」や「ブレイン・ハンドシェイク」という操縦法~概念からして、すでに一心同体のチームプレイを前提にしているが。
”パシフィック・リム”では、気にならなかった(鼻につかなかった)。
何故だろうと考えるに、前作はもっと操縦が重々しくこれほどの自在性がなかったせいか、操縦そのものに視点が向いていたが、今回は余りに軽やか過ぎて操縦というよりも人間の動き~ジェスチャーそのものに目が向いてしまった結果か。
ふたりでシンクロして踊っている姿そのものが、ちょっと滑稽さをクローズアップしてしまう。
それらはみな、結果の一側面に過ぎぬものなのだが。

カイジュウ大好き、、、。
(わたしも大好き(爆)。
マッチョでタフでお子ちゃまで凡庸な感じの”パシフィック・リム”であった。
しかしこれはこれでかなり楽しめた。
だが、わたしたちは前作を知っている。
世界観を物質的にどれだけ結晶化~場所化できるか、これが映画作りの本質かも知れない。
タルコフスキーをつい思い起こしてしまった。
(勿論、その他の名匠についても、、、ベルイマンとか、、、これはあげはじめたら一晩考えてしまう)。
この類の作品では「エイリアン」、「ブレードランナー」、「メッセージ」、「第9地区」、「 モンスターズ 地球外生命体」等々、、、
「場所」の引継ぎは、きっと不可能に近いものだと思う。
「ブレードランナー2049」は奇跡的な例である。
(恐らくドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の手腕と言うより、持っている資質によるところが大きい)。
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