アイアン・ジャイアント

The Iron Giant
2000年
アメリカ
ブラッド・バード監督
ティム・マッカンリーズ脚本
ホーガース・ヒューズ(スーパーマンの好きな少年)
アイアン・ジャイアント(宇宙から飛来したロボット)
アニー・ヒューズ(ホーガースの母、シングルマザー)
ディーン・マッコーピン(芸術家、スクラップ場オーナー)
ケント・マンズリー(政府捜査官)
如何にもアメリカのアニメーションであったが(いやアメリカアニメであったからこそ)感動した。
1957年のメイン州が舞台。
1957年ソビエト連邦からスプートニク1号が打ち上げられた。
その影響は当時のアメリカにとって大きい。
ある意味、その脅威が無意識的にもアメリカ全土を覆っていたかも知れない。
ケントのように空からやって来るものは全てソ連の兵器みたいに感じてしまう感性もあったと思う。
そして主人公アイアン・ジャイアントは自分が何者で何処から来たのか、地球に何しに来たのか知らない。
なんだ、わたしと同じじゃないか(笑。
ホーガース少年がジャイアントに言う。「自分のなりたい自分になれ」
ジャイアントはそうすることで自らを犠牲にしてその街の住民の命を救う。
少年の好きなスーパーマンになったのだ。

CGなのに手描き風の絵がちょっとレトロでジャイアントのかわいらしさ、親しみやすさを増している。
ジャイアントそのものの造形も面白い。
ひょうきんな鉄人28号みたいなのだ。鉄を食料にしていてあちこちをかじり散らす。赤ん坊のような食い方だ。
ちょいとおっちょこちょいだし、いい加減なロボットかと思うと、戦闘モードになったときの重装備が半端ではなく驚かされる。
これはどこかの高度な武力をもつ異星人の送り込んだ戦闘ロボットなのだと想わせるものである。
だが、このロボットは基本的に平和を望むプログラミングがなされているようで、それは防衛体勢時のもののようだ。
最初に出逢った少年からベースとなる基本情報を得ていた。
それより深い目的的行動プログラムはどうやらなさそうである。
つまりこのロボット、幼児に等しい状態で現れたのだ。
そして驚異的なのは、その自己修復機能である。
どうやらどんな痛手を被っても回復してしまうのだ。
これは限りなく深い示唆でもある。

基本的に、冷戦の齎す意識~無意識は、外部から侵入した他者は全て殲滅すべき敵なのだ。
であるから正体不明のロボット~理解しがたい他者は攻撃対象以外の何物でもない。
冷戦も終わりそういった意識構造はなくなったかと謂えば、更に個別的(分裂病的)に内面化し根深い排他性が行渡り遍在している。
いまも日常の平面で常に機能していることに変わりない。
それを自覚~対象化している人間はとても少ないことが分かる。
もっとも無自覚な意識を持つ政府のエージェント、ケント・マンズリーによって、ロボットに容赦ない軍部の攻撃がなされる。
ロボットは、それを全てかわしてしまう。
反撃は少年の気持ちを汲み禁じている。
恐怖に駆られてケントはロボットに向け原爆ミサイルの発射を促す。
ロボットはしかし、人々の住む(軍隊も集結した)街にいるのだ。
得体のしれぬ対象に対する恐れが如何に無思慮な短絡を呼ぶことか、、、。
原爆を使用すれば全的崩壊を促し、防空壕など意味をなさない。
それを冷静に判断するジャイアント。
少年もよくできたママもこころを決める。
原爆ミサイルに体当たりして、自分に対して害意と敵意を抱いていた者たちも含め少年たちの住む街を救ったジャイアントであったが、その部品~遺品の一つが軍部によって拾われ後日少年の元に届けられる。
芸術家であるディーンによりジャイアントの彫像が街に凛々しく飾られたが、、、、
その部品があるときアクティブになり、どこかに向けて動き出す。
少年の目が輝く。待ってるぞと、笑顔満面になる。
海上のロボットの頭部に向け散乱したパーツがあちこちから集まってゆくではないか。
明るい希望のうちに物語は終わる。

何があっても、回復プロセスの現れる可能性はある。
間違いなく名作である。
子供たちに観てもらいたい。
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